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家に帰ろうとすると持っていた端末に着信が入った。出ると五月少女からだった。
「今から言うところにきてくださいな」
たどり着いた所はカラオケボックスだった。
個室に入ると五月少女は寝転がっていた。そして僕を見るなり飛び起きて、目をキラキラさせて訊いてきた。
「どうでしたどうでした? いい経験できたでしょう」
「よくわからなかったけど、とりあえず疲れた……」
僕は制服のボタンを一つ開け、襟をつまんで扇いだ。クーラーが効いていて涼しい。飲み物何か頼みます? と彼女が訊いてきたので、カルピスソーダを注文した。
「これでまた一つ、ネタが増えましたね」
「ネタ? ああ、私小説の。あ、あれってそういう意図だったの?」
「まぁそうとも言えますね。私は単純に、貴方の五月病を完治させるべく、励ましの行動をとったつもりですが」
「もう全然励ましになってないけどね。むしろ励ましたよねあの娘を」
「励ましに来ましたって言って、四六時中チアガールのコスプレして頑張れーって応援するとかそんなんじゃ興ざめでしょう。私は多角的な戦略で貴方の五月病と向き合っているのですよ」
ものは言いようだな。
「それで、今度は何が始まるの?」
「何も始まりませんよ。強いて言うなら、カラオケでストレス発散ですかね」
「おっ、今回は割とベタな感じで」
「そうですね。今までが少しイレギュラーだったので」
「いやかなりイレギュラーだったよ」
テレビにはプロモーション映像が流れていて、アーティストが自己紹介をし始めていた。
僕は気になるあの娘が斎藤の彼女であることをネタに、五月少女と話し合った。
いつ告白したのか、どんな感じのデートをしているのか、ABCはどこまで済んでいるのか、馴れ初めは何なのか、いつごろから倦怠期になったのか、彼女はメンヘラなのか。あーでもないこーでもないことをつらつらと喋りあっていると、注文していたカルピスソーダが運ばれてきた。
ちょうど喉が乾いていたので一気に飲み干そうとしたが、そういえば炭酸だったので半分くらいで止めておいた。
「ふぅ」
「曲入れちゃっていいですよ」
送信機を渡された。しかし僕は受け取るとそのままテーブルに置いた。
「僕はいいや」
「えーどうしてですか? これも五月病治療のための一環ですよ?」
「僕はそんなにカラオケ好きじゃないから」
「そうなんですか?」
「歌える曲も少ないし」
「惜しい!」
「代わりに歌ってくれて全然いいよ」
「本当ですか? じゃあお言葉に甘えて」
ポチポチと画面をタッチして、五月少女はマイクを持った。しばらくするとスピーカーから音楽が流れだし、彼女はゆるやかに歌い出した。これがなかなか上手で、僕はしばらく聞き入った。
一曲歌い終えると彼女は満足気にマイクを置いた。僕が掛け値なしの惜しみない拍手を送ると、まんざらでもない様子で彼女ははにかんだ。
「前々から歌いたかった曲です」
「めっちゃくちゃ上手いじゃない。僕初めて君のこと見直したよ」
「それどういう意味です?」
「ニコ動で歌い手デビューしてみたらどう。きっとすぐにファンもつくと思うよ」
「そ、そうですかねぇ」
あからさまに照れていた。
「歌上手いの羨ましいなぁ」
「歌っちゃいましょうよ、せっかくなんだし。どうせ私しか聞いていないんですから! ここは一発、すっきりするような疾走感のある曲とか。ほい」
「疾走感のある曲ねぇ……って、えっ。何勝手に入れちゃってんの」
曲が流れだし僕は慌ててマイクを手にとった。幸い知っている曲だったので歌うことはできた。久しぶりに声を出して、しかも拡声されて歌うということをした気がする。五月少女はノリノリでタンバリンを鳴らしていた。
歌い終えると指笛で出迎えてくれた。大げさだなと僕は思ったが悪い気はしなかった。むしろすっきり感。
「好きじゃないとか言いながら、結構お上手じゃないですか」
「またまた。口が達者なんだから」
「いやいやそんなことないですよ。カラオケなんてね、楽しんだもの勝ちなんですから」
いつの間に頼んだのか、今度はフライドポテトの盛り合わせとりんごジュースが運ばれてきた。どうぞどうぞと彼女に勧められたので、僕もいただくことにした。うん、美味い。カルピスソーダが進む。
「なんで好きじゃないんですか? カラオケ」
彼女はもごもごしながら訊いてきた。
「やっぱり恥ずかしいからかなぁ。そんなに上手いわけじゃないし」
「だから、カラオケは上手い下手関係ないですってば」
「それでも抵抗が」
「彼女出来てカラオケ行こうとか言われたらどうするんです?」
「その時は……なんとかする」
「彼女に歌声披露する方がよっぽど恥ずかしくないですか? 普段から練習しといたほうがいいですよ」
「行く相手がいない」
「斎藤夫妻がいるじゃないですか」
「あのカップルと行けって言うのか」
僕、完全にお邪魔虫だろ。
「二人がいちゃついている間にバンバン歌えばいいんですよ」
「それじゃ意味なくない?」
「確かに」
彼女は豪快にりんごジュースを飲んだ。ぷはっと吐いた息は見ているこちらも気持ちよくなる。
「でも普段から恥をかくというか、傷つく練習というか防御対策をしといた方がいいですよ。なんかの漫画で読みましたけど、”非難”訓練は大事です」
「あ、それ僕も呼んだことある」
「カラオケに行って恥を耐えつつ歌うのも、気になるあの娘に絡んでみるのも、植物と会話するのも、人生の醍醐味です。せっかく人間として生まれたのなら、文化の高い生き方をしたほうがいいですよ」
「そうねぇ」
「そしたら五月病にかかることもなくなります。退屈な日常をどうやって切り抜けるか。それはバイオレンスとかセックスとかそういう一次的でリスクを伴う反社会的なもので潰す方法以外にも色々あります。笑いのネタとして話のつまみになるようなことをする方が建設的です。学生のうちは、くだらないことをいっぱいしましょう」
「語るね」
「五月病治療の一環です。貴方に早く元気になってもらわないと、私の名が廃れます。というわけで、次行きましょう。あっ次、私だった」
そうしてまた音楽が流れだした。テクノポップのズンズン響く感じが心地いい。五月少女は元気よく歌い、僕はその元気に触発されながら、この曲いいなぁと思い、タイトルとアーティスト名をこっそりメモしておいた。
今度カラオケに行った時歌ってみよう。僕はそう思いながらカルピスソーダを飲み干した。
その直後である。
カバンの中に入っていた巻物が、音を立てて消え去った。
僕は何も言えず驚くだけ驚いた。
気がつけばそこはカラオケボックスなどではなく、海原の広がる百道浜だった。
雨に打たれながら僕は、ベンチに寝転がっていた。