08
昼休みになると、僕はニヒルを気取って人気の少ないところへと赴く。ニヒルな僕は友達が少ないから便所飯も厭わない。しかしニヒルな僕はそんなクサイところで母さんの丹精込めた弁当を食うなんてとてもじゃないができない。だからニヒルな僕は仕方なく、今日のぼっちスポットを見つける旅をしては、流浪の時間を消費する。
「で、辿りついたのがここですか」
「そう。我が部室、第三地学準備室」
部室の鍵は部長が管理していて普段扉の鍵は閉まっているのだが、窓の鍵が壊れているので簡単に施錠解除できる。僕はだいたい週五日くらいここを利用している。
「ほぼ毎日じゃないですか」
「たまには友達と飯を食うこともある」
ちなみに斎藤キルケゴールだかなんだかは文芸部で食べるのが日課である。
五月少女は見を乗り出した。
「さて、五月病克服プログラムですけれど、私、妙案を思いつきましたよ」
「おっ。聞かせてほしいな」
「先程のキルケゴール斎藤様の意見を採用して、ズバリ、ショートストーリーを執筆するのです」
「ぼ、僕がSSを書くのか」
マジか。
「そうです。創作活動は、一種の鬱憤バラシ。ぷろへっしょなるな作家ならともかく、貴方は素人以下のぺーぺー物書きなのですから、どんな動機であっても大丈夫です。誇り高い純文学や商業ベースのエンターテイメント小説などではなく、今回は私小説を書いてみましょう」
「うー……」
「ね?」
「…………嫌」
「は?」
「あ、いや、その……」
特に反対意見もないから飲み込むしか無いか。
「あのー。私小説って厳密に言うとどういう感じの話になるのかな」
「えーっと……」
五月少女はしばらく考え倦ねた後、どこからかiPadを取り出していそいそと検索し始めた。ていうかiPad持ってるんだな。
「私小説(ししょうせつ・わたくししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることもある(Wikipediaより)」
「ほほう。心境小説か」
「つまり、なんでもいいってことです」
「なんでもいいわけないでしょう。ファンタジーとか書いたらダメなんじゃない?」
「ファンタジーでも構いませんよ。書きたいんですか?」
「あ、いや、そういうわけじゃないけど」
僕は錆びれた椅子の背もたれにもたれて、どうしようかなと背伸びをした。しかし私小説ときたか。一体何を書けばいいのだ?
「マジレスしますと、自分自身のことについてを小説化するんですよ。それを純文学っぽく、かつ人々を楽しませるエンタメな要素も盛り込んで」
「え、えっ。それかなり難しくない?」
私小説って、つまるところ自己満足な小説を書けばいいのではないのか?
「そんなことを言ってしまったら先代の私小説作家様に怒られますよ」
「なんでもいいって言ったのは君だろ」
「とにかく書きましょう。さあ書きましょう」
眼の前にノートパソコンがドンと置かれた。これ部室の備品なんだから大事に扱って欲しいのだが。
「さささ、どうぞどうぞどうぞ」
「……うーん」
いきなり書けと言われてもな。まずはこういうのってプロットから考えるのではなかろうか。
「確かに」
彼女は頷いた。
「じゃあどんな起承転結にします? あ、序破急にしちゃいますか?」
「ちょっと待ってな。えーっと、僕自身の物語だろう……」
考えてみる。
一日の行動。まず起きて顔洗って飯食って、それから学校行って授業行って友達とだべってまた飯食って、部活がある日は部活をして帰って遊んでまた飯食って、そして風呂入って寝る。
やばい。何の面白味もない。
「この私小説ってジャンル、めちゃくちゃ文章能力いるんじゃないの?」
「何を言いますか。そこら辺の動物よりも、はるかにドラマちっくな生活をしているじゃないですか」
「僕の生活は動物と比較しないといけないレベルなのか?」
「中には普通にリア充な生活を送ったり、メンヘラな世界に溺れていたり、援助交際でお金を稼いだりしてる高校生だっていますよ」
「そういう味の濃い人生、僕は生きてないから」
「そんな退屈な日常を如何に面白おかしく魅せるかが、作者の腕の見せ所じゃないですか」
「またまたそんな結滞なことをおっしゃる」
僕は物書きじゃないんだから、そんなこと言われてもわからないぞ。
「じゃあ仕方ないですね。私がちょいとばかりサポートしましょう」
「た、助かる」
「ついてきてください」
彼女はすっと立ち上がると、すたすたと部室を後にした。僕はどうなるのか気になって後を追った。
向かった先は、屋上だった。
「鍵開いてないよ、先生の許可もらわなきゃ」
彼女はやすやすと屋上の扉を開いた。
「えー開いた……」
僕はなんで開いてたのか首をかしげながらも、彼女の背中を追った。
と。
そこに一人の男がいた。
「やあ」
振り向いた彼は朗らかに挨拶をした。染み出る微笑の前歯が白い。こんなに爽やかなイケメン久しぶりに見た。
同じ制服を着ているので同じ学校だよな。それにしても見かけない顔だった。
ていうか屋上で何してるんだ?
「ボクはガジュマル。先生に育てられている、あのガジュマルだよ」
「ガジュマル……え、がじゅまる?」
僕は目を疑った。これがガジュマルだと。冗談も休み休み言え。全くいきなり何をいいだすのやら。
「本当ですよ彼は」
五月少女は彼をフォローした。僕は未だに信じられなかった。
しかしガジュマルはつかつかと僕の方に歩み寄ると、静かに手を差し出した。
「いつもボクのことを見てくれて、ありがとう。キミには感謝してる」
「あ、え、はい。いえ、どうも」
僕はしどろもどろになりながらも恐る恐る握手した。ガジュマルの手はひんやりしていた。彼は確かめるように大きく握手をすると、ゆっくりと手を離し、空を見上げた。
「今日もいい天気だね」
「そう、ですね」
「堅苦しくならなくていいよ。ほら、もっとリラックスして」
ガジュマルは嬉しそうだった。僕に微笑みかけるとぽつぽつと歩き始めた。
「不思議に思ってるでしょ。ボクがガジュマルだなんてさ」
「本当のことを言うと、軽く引いてます」
「そんな。ひどいな」
「ひどいです」
「いや、かぶせなくていいから」
彼女をたしなめて、僕はガジュマルに話しかけた。
「これは僕の幻ではないのか」
「幻なんかじゃない。現にここにいる。さわってみてご覧よ」
彼がふいに歩き回るのをやめたので、僕はそっと彼に触れてみた。なるほどそこには血潮の通う人肌があった。
「彼女も同じさ。僕らは決して幻なんかじゃない。君だけが見えて、他の人には見えないだけだ」
「ふむぅ」
僕はかなり迷ったが、頭の中で否定するもう一人の自分の声を無視することにした。今この時だけは、彼の存在を信じよう。
なんだか怪しい宗教の教祖みたいだなと僕は思った。
それからかれこれ三十分くらいか。屋上でガジュマルと喋ったあと、僕は教室に戻っていつものように授業の準備をした。
ガジュマルとはとりとめもないことばかりを話したが、そもそも植物と話すこと自体初めてだったので、会話というよりもインタビューというか、対談に近い会話になった。
「いいネタができましたね!」
階段を降りながら五月少女は満面の笑みで言った。僕は彼との絡みを元に、ショートストーリー型私小説を書くべく、プロットの考案にこれからの授業を削った。