04
ところ変わって天神地下街のスタバに立ち寄った僕は、いつものようにショートとスモールを間違えて注文し、赤っ恥のなか着席した。
「毎回間違えるんだが」
「それはそれは間が抜けていますね」
当然のように僕の前に座った五月少女は素知らぬ顔でスマホをいじくっていた。
「重篤な五月病患者を励ますというのが、貴方の役目なんですよね」
「はい、そのとおりです」
「では、励ましてください」
「ファイトーゥ、オッ」
スマホから目を話さず、左手の甲だけちょいと下げた。
「……え、それだけですか?」
「今ちょっと立て込んでて」
「あ、すいません」
僕は鼻を少し掻いた後、手で膝をこすった。それから手持ち無沙汰になったのでツイッターを開き、スタバなうとつぶやいてタイムラインを見た。
しばらくすると、鴨があなたのツイートをお気に入りに登録しましたという通知が来て、僕はそのままスマホの画面を切った。
眼の前の彼女はアプリか何かに夢中のようだ。身なりは普通の女の子に見える。五月少女と言ったか。本名はなんて言うんだろうか。ていうかそもそも冷静に考えて、彼女は何者なのだ?
そういえば直前に巻物が落ちてきたような。僕はカバンの中を漁ってみた。あれ拾ったかなぁと内心不安になったが、ちゃんと入っていた。巻物にはメッセージが書かれていた。
「これが見えるということは、貴方は重篤な五月病患者です。直ちに五月少女と交流を深め、人生を再起させてください。よりよい明日を」
面白そうな文面。きっとこれは、何か物語が始まるトリガーである。
しかし考えよう。現実はそう甘くない。
今までがそうだ。
例えばギャルゲーのように何もしなくても美少女が寄ってきたことがあったか? ないな。
ラノベのように傾いた部活動を立て直し、可愛い部員が家にお邪魔してきて風呂場で脱衣途中を目撃しキャー的な展開があったか? ないな。
アニメのように突然大切な肉親を殺され、復讐心の赴くまま、目の前の超巨大戦闘兵器に乗って血の涙を流しながら戦ったことがあったか? ないな。
世の中、割とないことだらけだ。あるのはそれ相応の行動を起こした人間か、努力した人間か、あるいは高学歴かイケメンかのどれかだ。生憎僕はそのどれにもあてはまらない。
卑屈になるのはよくないとは言うものの、やっぱりそうなってしまうのが性というものだ。帰ったら漫画見て宿題を片付けて寝る。これが僕にお似合いのライフサイクルである。
キャラメルフラペチーノを一口飲んだ。やはり美味いなと静かにうなずいた。
「さて、これからどうしましょうか」
彼女はスマホをしまうと、頬杖をついて僕を覗き込んだ。
「どうしますかというと?」
「五月少女として、貴方を励まさねばなりません。肉欲的なこと以外で、何か貴方を励ます術はないでしょうか?」
「エロはなしってことですか」
「ないですね」
先手を打たれてしまっては致し方ない。酒池肉林の夜は僕の幻と消えた。
「あの、一ついいですか?」
「なんでしょう?」
「これは新手の美人局とかではないですよね。もしくは出会い系とか。会話するごとに一万円とか請求されたりして」
「そんなまさか。私はそんなサクラな女じゃありませんよ。安心してください、サクラフェイカーなんかじゃありません。信じてください」
「良かった良かった。そうだったらと思うと気が気でなりませんでしたよ」
僕はキャラメルフラペチーノを飲むフリをした。信じてくださいと言ったので、僕は全力で彼女を疑うことにした。スタバから出たら、なるべく真っ直ぐ、早く帰ろう。美人局によってただでさえ残念なルックスがボコボコになり、財布もすっからかんになってしまっては、もう泣き寝入りするしかなくなる。
「うーん、どうやって励ましましょうかねぇ」
「どうしますかねぇ」
僕は適当にはぐらかしておいた。そしてあることに気づいて内心、舌打ちした。これ(キャラメルフラペチーノ)お持ち帰りすればよかったなと。
ていうか、そうするか。
僕はおもむろに席を立った。さっさと帰って安全をはかろう。
「どうしたんですか? まだ飲みきっていないじゃないですか」
「僕はちょっと用事を思い出したので、帰ります」
「そうですか。では私も」
そう言って彼女も席を立った。ポシェットを肩にかけた彼女はいつでも出発オッケーのような面持ちでトレイを片付ける僕を待った。
「あ、いや、その大丈夫ですよ」
「なにがです?」
「えっと、五月病患者がうんたらかんたらってやつです。僕はもう平気なので。そういうの、間に合ってますんで」
「何を寝ぼけたことを。全然間に合ってないじゃないですか。大遅刻ですよ」
「は?」
「え?」
大遅刻の意味がわからなかった。
「と、とりあえず今日のところは失礼します」
僕は早足でスタバを後にした。彼女を振り切るように全力で闊歩した。
「ちょ、ちょ。待ってくださいよー」
後ろの方で声が聞こえるが気にしない。さっさと巻いて逃げよう。僕は途中で左に曲がると、的はずれだったが女性物の洋服屋に隠れた。ケバい店員が怪しそうにこちらを見ていた。
僕は気にせず彼女の様子をうかがった。案の定すぐに彼女は現れたが、すぐに見失ったことに気づいて辺りをきょろきょろし始めた。
よしよし気がついていない。僕は不敵な笑みを浮かべた。
一方で彼女の顔はみるみるうちに悲壮感が漂ってきた。まるで迷子になった仔犬のようだ。
「あれ……あれぇ……どこ行っちゃったのかなぁ……」
眉毛がハの字になり、どことなく瞳がうるんでいるように見えた。途端になぜか僕の良心が責め立てられるのがわかった。お前女の子を泣かせたな。
いや違うって。僕は当然のことをしてるだけだって。
小動物のように辺りを何度も何度も確認し、歩いては戻ってきて歩いては戻ってきてを繰り返していた。しかし何故か僕のそばを起点としているようで、一向に抜け出せる気配がない。
というかめちゃくちゃ罪悪感に苛まれているのだが。
今にも泣きそうな顔をして、おろおろと右往左往している姿は、僕の中の柔らかい場所をしつこく締め付けてきた。まもなく五月少女は僕の隠れている店内に足を踏み入れたので、僕は入れ違いにさっと店内から脱出し、早歩きで地上に出た。
賭けに出よう。
僕はちょうどやってきた博多駅行きのバスに乗り込んだ。このままスムーズに発車してくれれば、彼女とはオサラバできる。
目論見は成功してバスの扉は彼女を乗せることなく閉まった。僕は軽くガッツポーズをとった。後部座席が空いていたのでそこに腰を落ち着けると、ハンカチを取り出してふうと汗をぬぐった。いやいや一時はどうなるかと思った。
きっと何かアヤシイものが関わっているに違いない。触らぬ女にたたりなし。いつだって美少女の周りにはゴロツキどもがいると相場は決まっている。僕はそんな危険を犯してまで恋愛や肉欲をエクスプローラーすることはしない。
時計を見て、道路の込具合を見た。あと一時間もすれば、家に帰りついているだろう。僕はカバンからiPod touchを取り出すと、イヤホンを耳にねじ込んで再生ボタンを押した。