モンテーニュの精神
Go Fujita go.icon
以下のつぶやきを読んで、モンテーニュとポピュリズムに興味をもつようになりました。
そういえば入院してベッドの上に名前があるのを見るたび、石垣りん「表札」が思い出される。パスカルが批判するモンテーニュと同じ精神がそこには流れている。ここで言われているポピュリズムも同じなのだろう。詩人がこうした無名の人びとの側に積極的に立った時代はあった。
モンテーニュを批判したとされるパスカルは、おそらく大変頭の切れる人だったのだと思います。
この「モンテーニュの精神」というのは、論理に矛盾があっても、飛躍していても、破綻していても、その「論理」が社会を変える「正しい力」として機能する場合がある、ということなのかなと予想しています。
もしそうだとしたら、そしてそれをモンテーニュが16世紀に実践していたとしたら、ヨーロッパの近代思想というか、民主主義の歴史、おそるべしです。
そしてその後も、たとえば石垣りんのような活動があったということは、ある意味、モンテーニュは、頭の切れるパスカル以上に頭の切れる人だったのかなと考えると、ちょっとワクワクします。
今まで、ポピュリズムの狭い意味でのネガティブな面(分かりやすい理屈で多くの人を騙して動かす?)を主に見ていました。でも、そうではない仕組みもある、ということなのでしょうか。
*
上の逸見さんのつぶやきのもとになったのは、佐々木隆さんというスペインの思想研究者(この言葉を知りませんでした)の活動でした。
これは佐々木さんがつくったブログサイトです。佐々木さんが亡くなった今、たぶん家族の方が維持されているようです。
トップページに置かれた、朝日新聞で紹介された翻訳『大衆の反逆』の紹介記事と、その下につづく佐々木さんの記事が、多くのことを語っているように感じます。
これがたぶん、逸見さんの捉えた「モンテーニュの精神」。人間の逞しさとやさしさ、可能性を感じさせてくれる「事実」に触れることができた気がしています。
そして、佐々木さんが訳したという『大衆の反逆』。読みたい本が、またひとつ増えました。
(06/19/2020)