染髪、ピアス、タトゥー
#memo
ごく最近、身近な方がタトゥーアーティストに転身された
パートナーと、いつかはその方にお願いしようかっていう話を半分冗談、半分本気でしている
Nさん、Clemenceさんにも、焦って入れる必要は無いって言われた。これを入れたいっていうのは然るべき時に降りてくる。それは40代なのか還暦を過ぎてからなのかも分からないが。タトゥーっていうのは皮膚に残された意匠じゃなくて、そのタイミングでそれを入れようと思ったその人の歴史であり、文脈そのものなんだっていう話をされた
一番麦くんっぽいのは、パートナーさんが入れるのに何となくついていって、自分を納得させるための屁理屈をこねながら、恐る恐る入れるとかなんじゃないかな?
実際そうなる可能性が高そう
だけど、「自分が将来タトゥーを入れる」可能性がほんのわずかに頭の隅っこにチラついている状態で過ごす日常は、ちょっとだけ高揚感がある
いすたえこさんに紹介頂いたRawにお世話になり始めて、初めて髪を染めた時のことを思い出す
ブリーチし終わった後、遊戯王みたくなってるよって鏡を見せてもらった時、己の醜さに驚いた
オールバックでペタペタになってるし、顔は大きくテカテカしていて、髪の毛はきれいなシルバーではなく薄汚い黄土色になっている
もちろん最終的にはきれいな色に染まったのだけど
一方で、この状態を自分で選んだんだっていうことに不思議な心の高鳴りを覚えた
客観的な似合う・似合わないではなく、自分の身体について自己決定をすることができたという経験そのものの嬉しさ
パソコンオタクたるもの、似合いもしないのに、脱オタしようと逆に振り切ってはいけない。それが逆説的にいなたさをより引き立てる。っていう、つまらない自分への枷とオタクっぽさへの同族嫌悪
写真は今でも苦手で、声は数年前に克服したのだけど、そういう「似合うかどうか」ではない自己決定の積み重ねの先に、自分の体に(良いとか素敵だとは思わなくとも)愛着を持てるようになる時がくるかもしれない
ピアスに関してもそうした側面があるのかもしれない
自分の身体のトポロジーの種数を変化させるっていうのは、皮膚から生える死んだ細胞の繊維の色を変える以上に重大な自己決定であり、それは高揚感をもたらしてくれるのかもしれない
そしてその感覚を新鮮に味わい続けるために、ピアスを開け続ける人がいるのかも
ピアスが馴染まない状態、常に開けたてのピアスがある状態をキープし続ける