本質の境界問題
制作において、なにが本質的で、どこからが本質的ではないかの境界はどのように決められるのかという問題です。UXの文脈ではよく「ユーザーが本質的な作業に集中できるように、些末な要素への認知負荷を下げる」というような物言いがされることがありますが、デザインでもアプリ体験でも、何が真に本質的かを定めるのはとても難しいです。少なくともプロユースの道具については、ツール開発者より使っている本人のほうが、集中すべき本質とは何たるかを知っていると想定すべきだとbaku89.iconは考えます。
例
そもそもUXデザインやgrowth hackingという職能が極端に目的論的。その職業観をすべての制作者に押し付けてい
ドリル、ドリルの穴、ドリルの穴を開ける快感、接着手段、ドリルをつかって作りたかったもの、ユーザーがほしかったのはどれか?
装飾か構造か
装飾的なルックの細かな積み重ねが、創発的に全体に独特の印象を帯びさせることもある
構造にばかり着目することで、そこに無自覚に導入されているクセやクリシェに気づかない
e.g. スペックの良い機材が欲しいだけなのに、ゲーミング様式までもれなくついてくる
「知的思索こそが本質的で、単純反復はいずれ自動化されるべき非本質的作業」
baku89.icon のように、ラグジュアリーとしての単純反復に勤しむために、ブルシットな知的労働を自動化したい人間もいる
ミディアムと対象のどちらが本質的か
「より本質的な上流工程から関わる」ことは無限後退を招く
ラーメンを土から作るのが上流か、ラーメンの企画立案が上流か
デザインからではなく企画段階から、組織をつくることから、ロビイングから...
関連項目