最小のインタラクティブミュージック
“All music is interactive in the sense that its perceived spatial positioning changes whenever one moves their head.”
全ての音楽は、顔を振ると本人にとっての定位が変わるという点でインタラクティブ
例外はヘッドフォンでそれを聴くとき
つまみをいじってパラデータをミックスできたり、ドラムマシンみたく遊べるみたいな作品に、so what? を感じてきた
一番ピンとこないのは、歌に合わせて歌詞が出てくるやつ 音楽を言葉、記号で聴く、つまり音楽を「うた」としてしか捉えていないから
それも一つの楽しみ方には違いないけど、Lyric Speakerに関わってる会社の社長が「アンビエントは暇」って言ってたのを聞いて、なるほどそういう音楽観の人達から生まれるプロダクトなわけだ、と思った
「音の発生源に対する顔の角度を変えると聞こえ方が変わって面白い」は、もっともプリミティブで、そして奥深い音楽のインタラクティブ性
group_inouの佐藤さんが、baku89.iconが作ってる映像を見せたときに顔を横にフリフリしていた 最近はそのノリ方が分かる。頷くようにノるよりも顔をデタラメに横振りするほうが、定位が変わって面白い
音楽の聴取環境がライブ演奏やスピーカーの方が多いとそうなる
気づいたらiPod nanoの世代だったので、身体を振っても音が変化しない。むしろ縦ノリして、身体にかかるGをfructuateさせる方が身体への刺激として効果的だった
横に降るノリ方が理解できたのはちゃんとライブやクラブに行くようになってから
AirPodのHead Tarckingはそのためにあるんじゃないか Head Trackingネイティブ世代は再び顔を横に振る?
踊ることには人称があるんじゃないか
共同体として一体感を感じるための三人称のダンス
盆踊り、マイムマイム、ウェーブ、のど自慢の後ろの人
誰か相手に見せるための二人称のダンス
パフォーマンスとしてのダンス、求愛のためのダンス
音の定位や平衡感覚、皮膚感覚や筋肉の弛緩が織りなす触覚的なリズムを、自分自身の内側に流し込むための 一人称のダンス
顔を振るのと同様で、踊って音の聞こえ方を変化させたり、音楽以外の五感でマルチモーダルにリズムを刻むこと自体が、音楽のもっとも根源的なインタラクティビティなんじゃないか
もちろん「自ら歌う、演奏する」に適うものはないのだが
音楽のマルチモーダル化、4DX化
e.g. imaiさんがライブ中に頭を叩き出す
一緒に住み始めてから、無意味に家でパートナーと踊るようになった
TWICEでも天気予報のBGMでもスティーブ・ライヒでもなんでも踊る
変な体の動かし方をしないと「またその踊りしか出来ないの?」と詰められる
気づくと、リズムを聴くと自然と体が動く体質になった
20代前半のころは、体が動かない、ライブやクラブにいっても壁際で棒立ちすることを、ある種の自分らしい内気さ、ナード性として演じていたような気もするし、特に自然と体が動く気配もその時は無かった
ダンスに限らずちょっとした身のこなしに現れる「運動神経の悪さ」を受け入れられるようになったのが大きいのだろうか
そのダサさも含めてパートナーがbaku89.iconらしさとして雑に笑い飛ばす
音にあって無くても良い
自分の体型、肉付き、筋肉量に合わせた固有振動数が身体には存在する
それが必ずしも、鳴っている音楽のBPMの2の累乗倍になるとは限らない
2:3、3:4でポリリズムを刻むときもあるし、全く合わない時もある
けどそれで良い
IDMのノリ方は、(したことは無いが)ボルタリングで色んなグリップが所狭しに並んでいるなかで、ちょうど四肢の届く部分のみを掴んで登るような、そんな感覚
縦に揃えようとはせず、アトランダムに変な音をつまみ食いしてピキュンと身体を緊張させるほうが楽しい
あるいは、ピンと張った芝生を手でパラパラパラと撫でるように、音もリズムも無視して好きに身体を振る。リズムを無視することの気持ちよさ
ノイズは触覚的
長い布の繊維を指でツーっと辿る感覚。途中でほつれたり、毛羽立ったり、モアレったり、捻れたり枝分かれして三つ編みになったりするその経時変化を感じる
調性、リズムの外側にある、テクスチャの時間変化
音楽として聴くよりも、電気風呂や炭酸風呂と並置したほうが良い
79さんShuntaさんのPodcastで、おじいさんがクラブで太極拳のようにじんわりと身体を動かしているのが凄く良かったって話をしていた。朝になったらサウナ上がりみたいにポツポツと汗をかいて。
久保田 晃弘さんも、シニアにはシニアなりの音楽聴取体験というのがあるんじゃないか、みたいなことをポロッと仰ってた テクノの4つ打ちでピョンピョン飛び跳ねていた若いころから、身体の固有振動数が少なくなることで、より長周波での持続的な音の構造の変化が身体に共鳴するようになるんじゃないか
Autechreのライブは強制的にダンスを一人称的にさせる
暗いから
一人称のダンスは、自分自身の身体を知る、その体が無理なく自然と動き出すをパターンを筋肉の記憶に刻むこと
日本のperforming artsにおける熟達とは、「型」を機械的にトレースすることではなく、自分自身の身体の使い方をマスターし、型を自分の身体に合わせて分化させることである、的な話をEU-JP Animation Residencyの取材先でだいたいどの人も言ってたのが印象的だった 文楽の太夫も浪曲師も