作り方を作る
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僕は表現だけじゃなくても新しいものを作るときに、「その作り方が新しければ、自ずとできたものは新しい」ということを教えているんですよね。ですから、みんなに言っているのは「作り方を作る」ということ。「マニュアルを教わって作る」っていうやり方も1つあるんだけど、そうじゃなくて「作り方を作る」。
僕はテレビコマーシャルの作り方を、例えば「音から作る」とか、それまでの作り方からちょっと変えたんですね。そうするとやっぱりO.Aで流れたときに、みんな「なんか違うぞ」と思うわけですよね。だから、「作り方を作ると、自ずとできたものは新しくなる」ということを言っています。
藝大院佐藤研に入りたいがために美大進学をしたのに、中退をしてしまったbaku89.iconの憧れとほんのりとしたコンプレックスの源。
「作り方を作る」というテーゼの自己参照性も興味深いです。エンゲルバートのABC Modelでは、直接の生産行為とその効率化行為とを階層化して区別しています。おそらく佐藤雅彦さんもそうした意味で発言されていたはずです。しかし仮に、「作り方を作る」行為それ自体を、ものづくりと同様に「作り方を作る」の対象として捉えると、また違った意味合いを帯びてきます。
つまり、「作り方を作る」を真に体現するには、佐藤雅彦さん流の「作り方を作る」をトレースしたり外挿するのではなく、「作り方の作る」それ自体の作り方もまた作る必要があるのかもしれない、ということです。ただの言葉あそびに過ぎませんが。
佐藤雅彦さんの方法論は、教育学や発想法といった頭で考えることを軸に確立されたものですが、baku89.iconは技術や技巧など、手を動かすことや無意識に関わる部分から「作り方の作り方」を作りたいという思いがあります。作り方の新奇さが際立つように、それ以外の見た目や態度をプレーンで漂白されたものにするノリへの反骨心もまた一方であるような気がします。(クセがすごい - baku89.com) 関連項目