ワールドワイドウェブのこと
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https://gdr.jagda.or.jp/articles/83/
Graphic Design Review 83 / 永原 康史
永原先生のこの記事、本当にすばらしかった。
親しんだプラットフォームがメタクソ化する中で、たとえばcatnoseさんのしずインや清水幹太さんのstateのように、どうルールを工夫することでインターネットに平穏さを取り戻せるのか、個人として取り組んでいる方たちもいる。
でも一方で、ぼくは最近、WWWの本来の思想に立ち返ることこそが今おもしろいんじゃないか、と思っている。つまり、サーバーとサービスが一体化した「プラットフォーム」をどうするかではなくて、「プロトコル」のほうが重要なんじゃないか、と。
たとえばHTTPとかSMTP、POP、あるいはRSSのような取り決めだけがあって、それに準拠したソフトウェアやサーバー、ビュワーを、ぼくらは自由に選べる。プラットフォーム以後のぼくらは、その自由をだいぶ忘れかけているけど、インターネットって本来、疎結合で分散的だったと思う。Fediverseも、「プロトコルとしてのソーシャルメディア」の実装を目指しているんじゃなかったっけな。
XやLINE、メルカリのUIがクソになっても、HTTPやEmailという仕組み自体がメタクソ化することはない。一時期スパムメールは増えたけど、ベイジアンフィルターのおかげでそこまでひどいことにはならなかった。Trackbackはちょっと失敗しちゃったかもしれないけど。Web標準はGoogleとAppleにやや牛耳られ気味ではあるけど——だからこそ、グッドルーザーとしてのMozillaには生き残ってもらわないと困るのだけど、でも少なくとも私企業によるプラットフォームと違って、プロトコルを介したネットワークは、VCや株主に人質に取られることはない。ていうか、取りようがない。
…と、何が書きたいのか分からなくなってきたけど、そんなこんなもあって、最近はあらためてTed NelsonやJ. C. R. Lickliderがかつて何を語っていたのか、自分なりに深ぼっているところ。カツキさんたちのデジオや、Olia Lialinaの『Vernacular Web』なんかも、やっぱりいいなと思う。久保田 晃弘 先生やhysyskさんに色々教えてもらってホクホクしてる。
ただ「再考したい」とかだけじゃなくて、制作においてもなにか出来ないか、試行錯誤している。名前を出すか迷ってるけど、いい機会なんじゃないかって珍しくWeb案件を受けたりもして、自分なりの“Digital Gardening“をCMSって形で実装してみたりもしている(クライアントには、HTMLとMarkdown、YAML、それにgitも覚えてもらった)。そのへんはCosenseの増井俊之先生や橋本翔さん、ObisidianのSteph Angoの影響を多分に受けている。
細かいことをいえば、大島 遼さんも言及していたけど、そもそもデフォで公開物に付与されるのはコピーライトであって、パブリック・ドメインじゃないんじゃないか。あと、サブスクというビジネスモデルは(AI系サービスならまだしも)フェアユースには立脚していないのでは、という感想も一方ではあるのだけど、それでも、5年前に学生向けに書かれたメールをこうして公開してくださって、議論の場を作ってくださったことに、めちゃくちゃ感謝しています。
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