プロップス経済
「評価経済」という言葉が当初思い描いていたはずの理想を換骨奪胎するための言葉として、「プロップス」が重要になってくるんじゃないか
プロップス = 同業者、コミュニティからの評価
「評価」はハックできる。プロップスはハックできない。
評価経済よりもプロップス経済
評価経済は、その言葉が出てきた当初は貨幣経済のように定量化されづらい、人同士の心の通った「貢献」と「評価」の相互授受によって成り立つ贈与文化を指していたような気がする。
だけど、Likes数や再生回数といった形でこれまで以上に可視化され、その数を増やすためのテクニックが跋扈する今、かつてのそれとは異なるニュアンスに響く言葉になってしまったんじゃないか。人の承認欲求を刺激し、limbic capitalismをドライブする諸悪の根源、みたいな。 ただの経済的要請だけに動機づけられる(と想定する)貨幣経済に対して、評判、見栄のようなものに駆動される「経済」が相補的に必要なことには変わりない
公害、乱獲、Enshittificationといったコモンズの悲劇、あるいは格差の拡大に対して、「評価」がaffordするノブレス・オブリージュ、メセナ、CSRは一定の抗力を発揮しうる