WebGL 総本山 + normalize.fm あわせて13周年感謝祭で公開収録を行ったアーカイブです。 夜の部のゲストは @_baku89 さんです。
Qantaさんとのビーフ
ビーフとは、ヒップホップにおいてラッパー同士が楽曲を通じてディスり合うことを意味する言葉です。ヒップホップ文化の目玉のひとつで、アーティスト同士の競争心や対立を表しています。
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もう一つ後出しで言わせてもらうと、宇川直宏さんが関わられた「高松メディアアート祭」がドメイン切れしていたのを見つけた流れで『映し鏡』について言及しているんですよね。もちろんそうした文脈はわきまえた上で、断片化された発言に対して反射的に物申してしまうSNSしぐさをそういうパフォーミング・アートとして実演されたのかなと理解しています。ですよね?
高松メディアアート祭
SOUR - 『映し鏡』
いや、半分本心で、半分心にも無いことを言っている。Podcastでも言ったけど、そもそもこうした応酬自体しょーもないと思ってるし、誰に頼まれてるわけでもないのに勝手にそういうロールプレイを引き受けちゃってるような気もする。誰が得するんだろう。ほどほどにします…。
アーカイブの問題については、YCAMの『メディアアートの輪廻転生』(2018)のような展示があったり、後述のRhizome、はたまた科学未来館の『インターネット物理モデル』の保存運動など、メディアアート界は総じて誠実に向き合ってらっしゃると思う。(e.g., 赤岩やえのRadio Not Found)それは、自分たちは“アート” だから、自分らの作品は残されていくに値するから、という驕りというよりも、新奇さだけで間が持ってしまうようなメディア技術を用いるアーティストとして、何が時代が経るごとにヘボくなり、何が思弁性を留め続けるのか、批評的検証の目にさらされ続けるという覚悟の現れにも思える。 DTPやWebのような領域に身を置く人の多くはネオフィリア(新しいもの好き)なわけだけど、湿り気のある師弟制やら歴史もない、スキゾ的感性こそが推進力になるんだっていう空気は昔からあったような気がする。だけど結局、前進どころか停滞している。
WebGL表現はFlashの歴史を10年遅れてトレースしているし、むしろレスポンシブやスマホ対応に工数を取られて、尊敬するデザイナーの坂本政則さんが関わられた『The Museum of Me』(2011)のような作品には、この数年でようやく表現力として追いつくかってところ。けど、そもそもそういうリッチさだけを目指さなくてもいいのでは?とも。それは「過剰な演出は抑えて、伝えるべきことが伝わる落ち着いたサイト設計を心がけましょうね」という真面目くさった話でもなしに、もっと色んなオルタナがあって良いんじゃなぁって話。 例えば、PlayStationが新ハードごとにレンダリング性能の向上を謳いつつ、それが必ずしもゲームとしての面白さに結びつかなかった。あんだけリッチに見えたPS2の描写は、PS5の時代には陳腐化している。そんな中で、任天堂はWiiを通して全く違うアティチュードからコンシューマーゲームのありかたを再考した。
WebGL演出マシマシのマキシマリズムか、組版だけで強弱をもたせたミニマリズムかってのは、うまく言語化しづらいけれど、同一のアティチュードの中で、どのセンスを取捨するかってレベルの話に感じるんですよね。結局「丁寧系」じゃんっていう。公開収録では、「じゃなさ」の例として、音楽ジャンルでいうところのスカム(コミクズさの精度追求)やノイズ(より無秩序で触覚的なもの)的なものしか挙げられなかったんだけど、Webシーンを見てみてもまだいろんな方法論はあっても良いんじゃないかなって思った。
https://studiomoniker.com/thumbs/projects/do-not-draw-a-penis/towel/01_tea_towel_packshot-960x770-q85.jpg
例えば以前にも紹介したオランダのStudio Monikerは、クラウドソーシングだったり、socially engagedな要素を多分に盛り込んだ、クスッと笑ける作品を多く世に出していた。Webという同じ表現ではあるんだけど、デザインの良し悪しの軸とは垂直な方向によさが飛び抜けているコレクティブだ。木原共さんも影響を受けているらしく、Playfoolと共同制作されたAIお絵かきゲーム『outdraw.AI』(2023-)は『Do not Draw a Penis』(2018)の影響もあるとのこと。 師匠殺し
つまり当たり前ですがDTP第一世代で上の世代がいないので、自分たちの師匠はマニュアルなんですね(笑)。流派で言えば、三遊亭でも古今亭でもなく、マニュアル亭(笑)。マニュアル亭直宏。うわ、ダサっ(笑)。そう、NSCの第一期生って師匠いないでしょう。
(…)
そして自分はその後、44歳で急に師匠が欲しくなり、2012年、それまで10年以上に渡り懇意にしてもらっていた松本俊夫先生が日本大学教授を定年退任する際の祝賀会で、映像作家として弟子認定してもらったんですよ(笑)。また、その会に参加していた15年くらい交流があった田名網敬一先生にも同日、グラフィックアーティストとして弟子にしてもらって(笑)、その日からいきなり二人の師匠に恵まれたんです。
ちょうどdotfesという、数年ぶりに開催されたWeb業界のイベントでのこと。中村 勇吾(yugop)さんと清水幹太さんによるトークの中で、yugopさんが「とはいえ父殺しについても最近考えている」という趣旨のことをポロッと言っていたのが印象的だった。 そこで思い出したのは、yugopさん率いるTHAにかつて所属されていたbouzeさんのキャリアだ。bouzeさんはTHA独立後、某大手ゲームメーカーへの転職を経て、最近はNFT分野でコントラクト・アートやフルオンチェーン作品のような、コンセプチュアルな作品を作っている。yugopチルドレンとしておそらく彼が追い求めていた「巧さ」を、別の角度から超克できたんじゃないかって思ってる。つまりは「師匠殺し」が出来たってわけ。もちろん殺せたからといって、認められるとは限らない。むしろ師匠の価値判断の外側に飛び出すことが、本当の意味で呪縛から逃れるっていうことなのかもしれない。師匠に「あ〜そっちいっちゃったかぁ〜」と思われるのは、正面切って作品を批判されることよりもダメージがデカい。だからこそ、かつてActionScript 3を書いていたその手でSolidityを書くのは、実はyugopさんをスキルで超えること以上に、勇気が居る決断だったんでは。…って、ものすごく勝手な想像を書いていますね、これ。 robamotoさんの平均律や、フロクロさんのご活動にも似たような師匠殺しのバイブスを感じる(弟子、孫弟子という違いはあるものの)。作品と同じくらい、心意義にやられるというか。それが遠因となってか、気が向いた時にコロナ禍から髪を染めてネイルをしている。というのは、ぼくが普段居る環境には「デジデジ」したことをしている人が全くいないんだけど、スケーターやラッパー、DJのような、文化的出自の全く異なるコミュニティに10年近くいる中で、ある意味自分の居場所をつくるためにナードであることをキャラとして受け入れていたような気がする。演じてまでは居ないけど。だからなのか、垢抜けようとすることで余計に垢抜けなさがにじみ出るのは、垢抜けないでいること以上にダサいことを理解していたし、それはもう佐藤雅彦先生に「シュールですね」って言われるくらい怖いことだった。それゆえに、一周回って反抗心から染髪をした。というのを、当の心理的師匠筋の人たちには言い訳していない。彼ら彼女は多分このテキストを読むこともないはず。「韓国アイドルみたいだね」って言われた時はだいぶこう、つら面白かった。師匠殺しにしたって捻れすぎて、自分でも何が何だか分かってない。 何がそういう「垢抜けなさ反抗」をするキッカケになったかは定かじゃないんだけど、2022年末のMUTEK.JPに出演した時、楽屋で「どうせ今日来る奴らは棒立ちしてるオタクなんでしょ」っていう発言を耳にしたのは時期的に関係していそう。あ、やっぱりそう映っていたんだなって。言っておくと、発言の主は運営サイドでも出演サイドでもないです。
インターネット・アート
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インターネット、World Wide Web、ブラウザを媒体としたアート。
椹木野衣いわく、多くコンセプチュアル・アートやポップアートといった「〇〇アート」は「〇〇主義」と言い換えられるようなものであるのに対して、インターネット・アートは「インターネットのアート」であって、美術に関する主義主張ではなく、「木の芸術」「紙の芸術」といったように、素材の強調にすぎない呼称。「ネット・アート」という略し方も一般的だが、和製英語寄りで、英語圏だと具体的なグループ名としてのnet.artとを指すことが多い印象? ポスト・インターネットアート
https://arthur.io/img/art/jpg/0000017344e236cbf/parker-ito/the-most-infamous-girl-in-the-history-of-the-internet-attractive-stude/large/parker-ito--the-most-infamous-girl-in-the-history-of-the-internet-attractive-stude.webp
Parker Ito - The Most Infamous Girl in the History of the Internet / Attractive Student / Parked Domain Girl
インターネット・アートが「インターネットのアート」だったのに対して、ポスト・インターネットアートは、インターネットが日常に溶け込んだ「以後」における時代的状況、メディア空間や人々の知覚の変容を捉えようとしたもの、という雑なイメージを持っている。Webブラウザから飛び出て、インスタレーション的なものだったり、よりコンセプチュアル・アート寄りなものが多い印象。インターネット・アートとの雰囲気の違いは、Guthrie Lonergan『Hacking vrs. defaults』(谷口暁彦訳)が良く捉えている。谷口暁彦さんは弊学のMax/MSPの講師でいらっしゃった。谷口先生が国内に紹介されていた、ゲームアートやマシニマ、In-game Photographyのようなムーブメントに影響を受けた情報デザイン系の美大出身者は多いんじゃないかなと思う。 Rhizome
NYCに拠点を置く、デジタルアートに特化したアート機関。インターネット・アートの保存活動も行っている。
2016年に同じくNYCに拠点を置く School for Poetic Computationに通っていた時に、訪問する機会があった。レジデンス中のアーティストが具のゴロゴロしたサラダボウルを食べながら、昼飯中ゴメン、なんて言いながら僕らの質問に答えてくれた記憶がある。 New Museumとの関係は、上記の記事が出るまでイマイチ理解できていなかった。 スキル、センス、アティチュード
アティチュードという言葉を連発してしまったのだけど、音楽レビュー系の記事でよく見かける語彙ですよね。なんというか、センスの良し悪し以前の、その表現と向き合うにあたっての、より根源的な思想、態度を指す言葉という印象があります。
そういえば以前さのさんと食事した時に、「スキル < センス < アティチュード」と、三層構造を成しているという話をしたような気がする。同じセンス体系の中ではスキルは比較可能で、同じアティチュードの中ではセンスは違いを超えて相互評価し合える。しかし、違うセンスの元ではスキルは序列化が出来ないし、根本的にアティチュードが違うもの同士ではセンスについての言語が違い過ぎて会話が成立しなくなってしまう。例えば、デイリーポータル的なセンス体系の中ではライティングスキルはある程度定量化できる。デイリーポータルZ新人賞はそれゆえに開催できる。デイリーポータルとオモコロも、センスの指向の違いはあれど、インターネットオモシロコンテンツクリエイターとしての根っこのアティチュードにそれなりに共通するところがあるので、ある程度はお互いに認め合える。だけど、オモコロとユーフラテスは、世の中の事象の「面白がり方」、そしてそのコンテンツへの昇華の仕方にあまりに態度の違いがあり過ぎて、恐らく意思疎通ができない(ような気がする)。実際、業界としてもきっぱり別れている。
千葉雅也さんの本というのは『センスの哲学』(2024)。そのものズバリなタイトル。大まかには、機能や目的、寓意でもって作品を解釈したがる心に待ったをかけて、そこで描かれているリズムやテクスチャを脱意味的に捉えてみよう。そっから広がる世界もあるよ、みたいな話だった気がする。 今となっちゃ痛い話なんだけど、高校の頃、友達にイキってDaft Punkの『Human After All』の楽曲を聴かせたら「歌はいつ始まるの?」と訊かれたのを思い出す。音楽を歌詞やメロディという単位で捉える感覚は、ひとえにカラオケや歌謡曲(J-Popもその延長)という文化に誘導されたものなのかもしれない。そしてこうした音楽観をダンスミュージックに向けた時、曲の良し悪し以前に、これをどう受け取っていいものか分からないというフリーズ状態を引き起こす。2017年のM-1で、ジャルジャルのコントに上沼さんが「反復的。もうひと盛り上がりが欲しかった」と評したのを、FlyのMVの打ち上げでラッパーの79さんが「テクノにサビがないと文句をつけるようなものだ」とツッコんでいてたのも、似た現象なのかも。 千葉さんの話はもはや関係ない気もしてきた。こういうモノを知っていたらセンスが良い、悪い、と具体的な事物を価値判断することは単なるエリーティズムでしかない。だけど、センスの良し悪しというものをその人の中でどれだけ相対化、脱構築で出来ているか。そのために、どれだけ作品の背後にある様々なアティチュードに触れられているかは、こう、色々と肝心なんじゃないかと思ったりする。そのうえで、最終的に「テクノ」を嫌いになったって全然いい。
The FWAやAwwwards的なウェルメイドさのみを追っかけるのは、個人的には「ボカロしか聴いていない」に近い。FWAやボカロそれ自体のセンスが駄目って言ってるんじゃなくて、「…しか摂取してない」ゆえの、その人にとって価値判断の対象たり得る表現の狭さに、一抹のもったいなさを感じてしまうって話。 https://baku89.com/wp-content/uploads/2024/05/jodi.gif
asdfg.jodi.org
真鍋大度さん
https://www.youtube.com/watch?v=W_5Cty8M5Kk
5・6年生にもわかるやさしいJavaScript
このサイトでは、初心者でもJavaScriptを使って楽しいホームページ作りができるように、使いやすいJavaScriptサンプルで、わかりやすく説明をしています。メニューの中から気に入ったJavaScriptをホームページに使ってみましょう!
ジョン前田の12 o'clocks
https://www.youtube.com/watch?v=B7dbz9qepe0
当時どういう実行環境で、どんな風合いでディスプレイに表示されていたかはぼくには分からない。岡村浩志さん曰く、移植版はどこかスムーズ過ぎるとのこと。