Nov 25, 2024: ART & TECHとバズワード消費
Disclaimer
勢いで書いてます、口汚い
傷つく方がいるかもしれませんが、5割増しで好意的に受け取ってもらえたら助かります
Generative Designとかいう明瞭な新ジャンルがある訳じゃない。
視覚伝達デザインの黎明期から、静的な図像を作るだけじゃない、パラメトリックな要素を含むルールとしてのデザインは存在した。Otl AicherやLance Wymanによる五輪のサイン計画のように。コンピュータの導入で多少高度化・自動化されたものの、manual(手動、手技的) - parametric(数値制御的) - generative(生成的)- emergent(創発的)なアプローチというのは、今も昔もゆるやかに連続体を成している。
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お客さんスカスカ(写真クレジット確認中)
昨日、MUTEKのトークで、いすたえこさん、林洋介さん、そしてぼくの三者で「Generative Designの可能性」というお題を頂きトークをした。個人的にはこのタイトルはちょっと不服だ。というのは、メタメディアとしてのソフトウェアが持つそうした可能性を、デザイナーとツールベンダーはある種の共犯関係のもと、みずから手放してきた歴史があるからだ。Jürg LehniのScroptographerはIllustrator上でプログラマブルなブラシやシェイプ操作を可能にするためのプラグインなのだが、度重なるAPIの仕様変更にしびれを切らして開発を断念している。AdobeもかつてPhotoshopやFlash、AfterEffects上でカスタムフィルターを実装するためのシェーダー言語、Pixel Blenderをサポートしていたのだが、CS6を最後に廃止されてしまった。Adobe Maxで発表された新機能に盛り上がってるデザインTips系アカウントは、全然こういった歴史に触れないし、知りもしないよね。もっと遡れば、60年代のSketchpadやSmalltalkの時代から、小学生からデザイナーまで誰もがコーディングがもつ生成性にアクセスすること、筆や本のメタファーを超えた新たな物性を持ったメディアを作り出すこと、そしてソフトウェアの中で「作り方をつくる」ことが孕む可能性は理論化されてきた。だけどそうしたコンピューター観の系譜について、ぼくらは半世紀以上も放ったらかしにしてきたんだ。で、10年前はビッグ・データやIoTでブチ上がってたような奴らが、今度はジェネラティブ・デザインってバズワードについても、さもイノヴェーティブな何かが今さっき到来したかのように囃し立ててるってわけ。だから「Generative Designの軽視の系譜」くらいが実感としてはちょうどいい。 https://vimeo.com/80026325
MUTEK Pro ConferenceやDIG SHIBUYAのようなイベントは、やれWeb3、xR、ブロックチェーンだの、新しいもの好きな人たちが集まるわけだけど、みんなそうした技術がもたらす「結果」の話ばかりしていて、具体的にどういったソフトウェアがどのように作用したかという「原因」の話をしていない。だから議論がいつまで経っても上滑りする。何かについて語ってるようで、何についても語っちゃいない。そこには新しい何かがブチ上がっているのかもしれないという漠然とした高揚感とハイプだけが、LEDウォールに映し出されるバキバキのポイントクラウドよろしく、掴みどころのない雲のように会場に漂っている。
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内心、みんな本当に新しもの好きなの? って思っている。デジデジ業界を駆動しているのは、ネオフィリアな情動というより、置いていかれる恐怖、あるいは自分が新しいものに適応できないインターネット老人だと思われることへの恐れなのかもしれない。最近はそれを「ネオフォビア・フォビア」って頭の中で呼んでいる。 ぼくはやっぱり新しいものが好きだ。それは、単にナウい技術を使ったとかそういうんじゃない。作品や研究を通して、その時の自分にとって新しい思考様式、態度、もっといえばセンス・オブ・ワンダーに触れたいってことなんだ。新しい技術が登場したとき、我らがデジデジ業界はいつだって、いつもの奴らが、10年前からさして変化のない美的様式で、中野美咲さんいわく「黒背景に緑のパーティクルがCurl Noiseで散る」いつものノリをかます。そこには佇まいとしての新しさはない。そんで、作品のスペクタクルさだったり、作り手のファッショナブルさ、セレブリティ性にほだされて、技術オンチな経営者、決裁者、インフルエンサーが、まぁ、完全に理解はしてないけど、これは何かスゴいことをしているに違いないと、フンイキで称揚するのがいつものオチだ。 https://scrapbox.io/files/674462bfd34fe95445f534d1.png
「Art & Tech」という言葉だってそうだ。このコピーを掲げる企業やイベントは数あれど、ほとんどの場合「ビジネス & 行政 & Tech (wannabe Art)」くらいが妥当だと思う。ぼくの視点でArt & Techをに真に実践できているアーティストの作品は、しばしTechが後景化している。というのは、彼(女)らはテクノロジーを新旧問わずフラットに俯瞰していて、多少自己目的化していようと、技術を手技の自然な拡張として身体化しているからだ。そのテクノロジーが旬かどうかとか、アウトプットにその新しさが分かりやすく現前しているかに執着がない。
ぼくもまた最善ではないものの、そうした態度をそれなりの精度でとっているつもりだ。深度・空間推定技術にしたって、最近はGausian Splattingの話ばかりされてるけど、NeRFやKinectだってまだまだ試せる質感はあると思っている。xRに至っては、発表形態としてのVRよりも、作品制作のための道具としてのVR/MRデバイスの方が最近は面白い。 https://scrapbox.io/files/674456197f02dd1df30237b8.png
ただのコマ撮りにVision ProとVive Tarckerを使ってる
最近AI研究者・アーティストの徳井直生さんらと作ったMONO NO AWAREのMVでは、Unicodeの14万もの字形をぼく自身の手でいい感じに並び替えることでアニメーションさせている。実は、徳井さんご本人にもお伝えしていない裏テーマがあった。それは、いかに徳井さんの知見を、彼自身のパブリックイメージから乖離した形で転用するかという、ちょっと不誠実なチャレンジだ。曲もなんかふざけてるし。そんな下心はとっくに見切られていたような気もするのだけど、徳井さんは多忙ななか快く画像検索エンジンをこしらえて下さった。旧き良きCNNベースとのこと。そんなプロセスは、作品を見たところで誰も分からない。でもそれで良いんだと思う。ワープロの登場は、新しい文学ジャンルを生んだわけじゃないけど、書き手の思考のありようを確実に変えた。いわんやニューラル・ネットワークをや、ってこと。「AIとの共創」ってそういう意味ですよね? https://scrapbox.io/files/674456dcb2bebc8e09038bab.gif
Unim - Unicode Animation Tool
そういえば、最近自宅の収納部屋で組み立てている撮影装置は、Oskar Fischingerの蝋削りコマ撮りやTony HillのDIYリグ、町工場のフライス盤からデジタルファブリケーションに至るまで、いろんな興味とリサーチが渾然一体となった結果生まれたものだ。つまり何が言いたいかっていうと、個人にとってのTechっていうのは、消費をそそるような、いかにも未来的でシュッとしたものとして喧伝したいテクノロジー産業の思惑に反して、泥臭さと生活感、誤用と猥雑さにあふれたものなんだと思う。
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そういえば月初に新千歳国際アニメーション映画祭に行った。そこで、ぼくがメ芸で新人賞を頂いた年にアニメーション部門で大賞を獲っていたBoris Labbéというアニメーション作家の長編『Glass House』を見たんだけど、これがメチャクチャ好みだった。モノクロの画面で手描きの抽象アニメーションとニューラルフィルター、3DCGが綯い交ぜになって、得も言えぬ彼らしいルックを作り出している。そこには、どのテクニックがどう新しいかって言葉には決して還元できない、なんというか全体論的な新しさがあった。だから、馬鹿デカいスクリーンの前列2席目で、微細なピクセルの変位に至るまで舐め回すことができたのは本当にブッ飛んだ。そんな彼は今VR作品を作っているらしい。 https://www.youtube.com/watch?v=Wz-tgVAzW8Y
実はまだ観れてないんだけど、羅絲佳さんの『Be Gone』は、彼女いわく「古いAI」と手描きを組み合わせて作られたアニメーション作品だ。別にStyleGANの潜在空間上でモーフィングさせるいつものアレをやらなくたって、いかにもMidJourneyやStable Diffusionで作られた「AIアート」っぽいルックじゃなくたって、画像生成モデルはアニメーション作家自身のスタイルと柔軟に馴染ませて使うことができるという好例だと思う。サムネイルだけでワクワクする。映像作家としてのぼくのサンプルはややアニメーションに偏るものの、こういう方法論、態度こそぼくにとっては新しい。 https://scrapbox.io/files/6744256cb2bebc8e09ffc62a.png
仮にもArt & Techを標榜するイベントなら、「テクノロジーを用いた表現」というスイカの先っちょだけ齧って5年後には綺麗さっぱり忘れて次のスイカに飛びつくデジデジした奴らよりも、緑の部分を味が無くなるまで咀嚼しているような、こんな方々こそ呼んでほしい。フィージビリティ(実現可能性)なんてテックコンサルの奴らに喋らせとけばいいから、アートを名乗る以上、それを実現させるということは何を意味するのかという思索、実現させた先にはどういった手触りがそこに宿るのかというニュアンスについて、もっと議論されてほしい。
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ソフトウェアそのものを議論しなければ、その原因よりも影響ばかりを追いかけ続けることになる。つまり、背後にあるプログラムや社会文化を見ずして、コンピューター画面に映し出された結果だけを見るようなものだ。
If we don’t address software itself, we are in danger of always dealing only with its effects rather than the causes: the output that appears on a computer screen rather than the programs and social cultures that produce these outputs.
Lev Manovich “Software Takes Command”
その上で改めて気になるのは、テクノロジーがもたらす社会変容だとか経済価値みたいなマクロな話はこんだけ語られるのに、テクノロジーそのものについて全然語られてないってこと。ソフトウェアについて語ろうぜってのは、みんな大好きLev Manovichもずっとアジテーションしてることなんだけどね。でもそれって、ぼくが思うにソフトウェアエンジニアリングは伝統的に2つの意味で誤解を受けているからだ。 まずひとつが、コーディングは理屈っぽいオタク君がやることで、「文系」的世界のような感性や詩情が入り込む余地のない職能だという偏見。もう一つは、普遍的な学問知に比べて技術知は即物的かつ刹那なもので、文化研究の対象として語られる価値はないってこと。人文系の人らと話してた時に、Phillip GalanterのGenerative Artの定義における「手続き的な創意(procedural invention)」という言葉につっかかって、関数型言語のメンタルモデルの話題を持ち出そうとしたんだけど、「具体的な技術スタックについて今ほじってもしゃあ無いでしょう」という空気を感じ取って引っ込めたっけ。ハイデガーやフッサールはオッケーで、Haskellは駄目ってこと?(っていうのは冗談、別にそんなことはない…) いわゆる「理系」教育を受けているわけでもない、ただの美大中退者として言わせてもらうと、技術知というのはみんなが思うより身体知 ― つまり演奏や料理に近い。コーディングによって培われるのは、なにもカチコチに形式ばった記号操作能力だけじゃない。世界をしなやかに直観するための運動神経なんだ。手を動かして技術に親しむのは、世の中をざわつかせている「ブロックチェーン」だとか「ジェネラティブ」みたいなバズワードについて、理屈としてではなく腹で理解する(あるいは理解しきれなさを悟るための)最短かつ唯一にちかい道筋なんだとぼくは思う。
スマートコントラクトについて語るならSolidityを勉強すればいい。AI(DNN)について語るならColabでTensorflowを弄くり回してみたらいい。川野洋の思想を理論的に分析するのも重要だけど、キュレーターだろうとギャラリストだろうと、今すぐp5.js Web Editorを開いて、『Patterns of Flow』を我流で実装するのも一興だ。YCAMの無骨な長机で突如「なんちゃってK-System」を書き始めた久保田晃弘先生のように。繰り返すけど、コードを書くことで万物が理解できるとは言わない。だけど、技術のさわりだけでも知ることで、その原理的な部分と現行の社会実装とのギャップ、凄さについてより正確な無知の知をわきまえることができる。そして、どのような技術基盤からWeb3やAI時代のような「時流」がブートストラップするかという直観が手に入る。なにより、手を動かして技術を身体に染み込ませることは、驚き屋のnoteを読むだけでは味わえない、独特の愉快さがある。 https://scrapbox.io/files/674416cf0a646de8f0d7c541.gif
これはただの技術者エリーティズムでも「手を動かせない奴は口を出すな」という頑迷な現場主義でもない。むしろ人文学的、美学的議論のほうが、そうした社会階級に属し、そうした会話に常日頃触れてないとついていけないという点で、ぼくにははるかに排他的な世界のように映る。数理科学としてのコーディングは万人に開かれている。ドキュメントもツールキットも多くはインターネット上にオープンにされているし、しかも無料だ。しいていうなら命令列をテキストの形でタイピングするという従来的なコーディング以外の選択肢がもっとあっても良いのかもしれない。PureDataやvvvvのように。大事なのはプログラミング言語の知識じゃなくてメンタルモデルだ。だから、p5.jsを触るでもUnityを落とすでもいいから、技術というのを肌を感じてみてほしい。誰も巧拙は問わない。初学者を腐すプログラマーは居ないことはないけど、少なくともクリエイティブ・コーダーやデモシーンのような、ナイスな界隈のみんなは、別の専門性を持った人たちがコーディングに興味をもってくれることをありがたく感じてくれるんじゃないかなって思う。ぼくもうれしいです。
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ここ最近、YCAMのHomo Codenceというイベントや先述のMUTEKのトークなど、いくつかの場所でGenerative Artについてお話する場面があったのだけど、普通にプレゼンテーションが下手くそなので、言いたいことが伝えきれずヤモヤしていた。だからこうして平日の夕方に勢いで書いている。
もう少しデジタルアート界隈に向けたことを書くとすると、Joshua DavisのいうPuristsやMax Benseの生成美学のように、ジェネラティブであることに純粋主義的であったり、理論的基盤を見出すのは豊かだと思う。そうした地固めはジェネラティブアートがこれから現代美術として受け入れられていく上では必要なことだとも理解している。久保田先生も仰るとおり、美術における「生成」はまだまだ掘られきっていないテーマなのだから。その上で思うのが、工芸でも美術でもない、第三の道っていうのがクリエイティブ・コーディングにはあるんじゃないかってこと。そういえば、2年前BNNから『Code as a Creative Medium』なんて本が発刊されたっけ。曰く、コーディングは道具であると同時に表現媒体でもある。けどそれと同じくらい、世界を新しい読みかたで理解し、そして書き換えていく、いわばリテラシーとしてのコーディングも大事なんじゃないかってのがぼくの考え。 https://scrapbox.io/files/6744546778d4ac861cf74a06.png
YCAM - Homo Codence / Tak Session “Strolling the Noosphere“
それは必ずしも「クリエイティブ・コーディングっぽさ」が前面化するわけでも、それ自体が一つのアートとして自律することを意味するわけでもない。だからクリエイティブ・コーディングという実践そのものを作品にしたい人たちにはちょっと冷や水を浴びせるような話なのかもしれない。だけど、英語がその人の興味や専門性と結びつくことで初めて役立つように、コーディングも、コマ撮りやグラフィック・デザインとか、色んな分野と結びつくことで開花する可能性ってのはまだまだあるんじゃないかな。ぼくも今のところは映像「作家」としてしゃしゃり出ちゃってるんだけど、グラフィックデザインひとつにしたって、いすたえこさんには敵いっこないわけだから、彼女のようなデザイナーのための環境づくりに裏方として徹する機会はもっと増やしていきたい。友人でHCI研究者の加藤淳さんが「アーティストのための道具鍛冶職人」を名乗られていたが、ちょうどそんな感じ。もちろん、彼にも別の質の敵わなさは感じているんだけど。 そうした視座や出会いをデジデジ界に生み出すには、やっぱりDIG SHIBUYAのようなイベントで、口達者な映えテックセレブリティだけじゃなくて、テクノロジーをそれぞれの分野で自然体で取り入れている作り手がもっとフィーチャーされるべきなんだ。そんな露出を当人が望むかはともかく。ライゾマやチームラボが好きなVRアーティストに山村浩二が誤配されることが肝心だし、そうしたシーンの撹拌が、いすさんや林さんらによる伝説的アートワーク『□□□ / CD』のように、「学際」なんて洒落臭い言葉じゃ形容できないようなグチャッとしたコラボレーションを生むのだろう。んで、キュレーションや決裁をする人たちも含めて、みんな少しでもいいからコードに触れるなりして、テクノロジーを腹で分かる人が増えていってほしい。そうした中で、世の中の「テック感」に対するふわふわした理解が、より内実を伴ったものに変わっていってくれたらいいなって思ってる。 https://scrapbox.io/files/67455ace073cdbac66d15559.gif