肩書
肩書は自分の興味や職能、社会的立場を過不足なく誰かに伝えるものだと思っている。だからある程度型にはまった言葉でいいし、むしろそうあるべき。こうありたいという願望を込めたり、ユニークであるために肩書をこねくり回してみるのは、もちろん自由。だけど、「要するにこの人の職能の類型はなんなのか」を伝えるという、肩書がもつ最も有用な機能を手放して、「肩書を凝っちゃう人」というあまりイケてない烙印を自ら手にしているとも思う。
その人のユニークさ、型にはまらなさが実績や成果物から自明ではないからこそ、それを肩書という形で表明するしかない
baku89.iconは肩書にわりと保守的なんだけど、なかでも「アーティスト」と「クリエイター」、あと「グラフィックデザイナー」はほとんどの期間名乗らないようにしている。ビジュアル・アーティストは長らく入れていたけど、正統な意味のvisual arts(視覚芸術)とは違うよなぁと思って最近辞めた
「その時々求められる立場に応じて肩書を変える」という例も聞いたが。
デザイン・エンジニアリング、コンセプト・デザイナー、ビジネス・デザイナー、事業デザイナー
そんなにデザインに絡めたい?
オシャなイメージ、なにかを創造しているイメージが欲しいならいくらでもくれてやる
2年前、鉄塔さん主宰のグループ展に参加した
むしろぼくは彼のエンジニア、メイカーとしての側面に惹かれていた。写真展をするにしても、写真という趣味を取り巻くメーカー(企業の方)とプロシューマー(作り手のつもりの消費者、の意)のあまり豊かじゃない共犯関係を、揶揄するまでではなくとも、ちょっと違う視点から、自己批判も含めてチクッとツツいてみる展示にしたほうが、彼の活動がまた違う方面にも刺さるんじゃないかと思っていた。TETTORという架空のブランドのInterBEEかなにかの展示会ブースを模したシミュレーショニズムっぽい展示をイメージしていた
が、一旦そこはなるようになる、とあまり自分の我を出さないようにしてみた
一点だけどうしても厳しかったのが、Takumaさんが当初肩書を「デザイナー」にしようとしていたこと。彼の出自も、研究者としての側面も、ぼくからしたらとてもクールで尊いのに、なんで全く関係のない「デザイン」に自らを絡めようとしたんだろうってのは今でも気になっている
けど実は加藤淳さんも「デザイナー」を肩書にいれている。アカデミアにおいては、「デザイン」の定義が、美術系のそれに比べてより広範なのかも 改めて「グラフィックデザイナー」ってかっこいいよねってこと
どんどん広義化する「デザイン」に対して、自分はあくまで「グラフィック」という側面からデザインに関わりますっていう態度表明
「デザイナー」と「研究者」は、文字通りにそうしたことに従事した実績がない限り、スラッシャー的肩書きのお飾りとして軽々しく名乗れない感覚がある 自分がやってるのはデザインでも研究でも (現時点の自認としては) ないってのはハッキリ言える
同様の理由で、「クリエイティブ・ディレクター」にも警戒心がある
広告やファッションなど、役職名として確立されているものを除いて、肩書に言霊と心意義を込めるしぐさに、ナンセンスさを感じるのかな。ものづくりに対する具体的な専門性は無いけど、そういう何かクリエイティブなものごとに対して、企みごとをしたり、指揮をとっている自分でありたい、という含意を受け取ってしまう