斎藤あきこ
旭川に居ながら「ボストーク界隈」を感じる
意外と不適切なことをいっても怒られない
公開の場でクライアントや代理店を批判しても大事にはならない
職務には誠実でありたいが(できてないが)、心まで従属する必要はない
契約書を結ばない文化の数少ないいいところ
ただ信用は失う
Discordの部室性
衝立越しに大人がワチャワチャやっている感じ
その場に居合わせないと、会わないと得られない空気感をいかに東京以外に垂れ流すか
斎藤あきこさんのご活動でbaku89.iconが好感を持てるのは(編集者としてではなく)社交家としてのそうした側面 Adobeはお母さんじゃない
地球上でその機能を必要としている人のボリュームゾーンというものと、Adobeが私企業であって神さまとかお母さんじゃないということなどがあるかと思うのですが、プログラムで作品を作るメリットはツールに縛られないということですね。
昔、Behanceのオウンドメディアで、斎藤さんがインタビュアー、僕がインタビュイーの記事が公開された
そこでは、Adobeの(最近の僕の造語でいう)UX Paternalismを遠巻きながら批判しつつ、自分の制作ではプログラミングでそれを乗り越えんとしている、みたいな回答をしていた記憶がある(今とまったく変らない…) 公開後、記事を改めて引用しながら、Adobeを批判したっけ、斎藤さんからこうしたQPを頂いた
ツイートも消し、太田 禎一さんにお願いして記事自体を取り下げてもらった baku89.icon、大人げないなって思った
自分が関わっている組織のために執筆したコンテンツを、その組織の批判のために使われることの決まりも悪さ、ダルさ
今ならこういう言い方はしないです…って思うと同時に、斎藤さんの私企業観、creativity support tools観のナイーブさをより正確に理解できるようになったとも思う
私企業も私企業の都合で営利目的の活動をしているように、ユーザーもユーザーの都合で言いたいことを言ってもいい
それをどこまで企業のロジックに則しているかは関係なく、そうした声が十分に大きければ、それは自己成就的に企業にとってユーザーの声に従うインセンティブとなる
また、creative professionalsにとってのプログラミングは、「より自由になるため」のものではなく、本来ソフトウェアに出来たはずのことが出来ない不自由さを帳消しにする、マイナスからゼロへの行いでしかない(とbaku89.iconは認識している)