完成概念
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久保田晃弘さん「デザインに『完成』概念は必要か?] 20世紀の近代デザインと生物の進化を比較したときに、まず大きく異なるのは「完成」という概念の有無だろう。先ほどのデザインプロセスのダイアグラムでも、それを(逆)ツリー型と呼んだように、最終的に何かひとつのアウトプットが完成することが暗黙のうちに仮定され、それをひとつのゴールとすると同時に、作家や作品、あるいは製品というオーソリティの基盤としがちだった。
アルミフレーム什器をちゃんと四面溝にする
拡張可能性を潰さない
アルミフレームの溝を、モダニズムにおける「余計な装飾性」ではなく、道具がモジュラーでありつづけるための美的一貫性として捉える
かむかも RemixのMVのために買ったペンプロッターが2台とも分解され、今や自分のリグや立体作品に組み込まれている。汎用モーターとアルミフレームで作られているから、完成されたガジェットではなく、好きにハックできる素材とビルド例を手にする感覚が消費体験として良かった。 あらゆる製品はそうあってほしい 可鍛性があって、修理と改造が可能で、一つのことをうまくやり、協調して機能する そこにはデザインとしての「完成」概念はなく、常に分化、分解、再構成され続ける。道具がその人だけのエコシステムを成して、生活に練り込まれている。
汎UNIX思想とでも呼ぶべきなのかな。