古典は退屈
古典鑑賞の3段階
1. 退屈だなぁ(けど人に言えないな)
2. いや、退屈でいいんだ(だってメディアに対する時間感覚もリテラシーも、違う時代のものだもん)
3. 退屈だけど面白い
この時代にこれを作った心意義や先見性に、ジーンと来るなぁ
むしろこれが「退屈」とされる程度に、色んな作品に影響を与えた
結局退屈なことには変わりない
ゴッドファーザーはこの年になって面白く思えてきた
市民ケーンやStingも、エッ普通じゃん…って感じだった
けど地面を掘ってカメラスライダーの目高を低くした、とかそういう逸話にリスペクトを覚える感じ
古典じゃないけど、『ターミナル』を小学生の頃観たとき、全然ピンと来ず、当時父の彼女だった母に『大人になったら分かるよ」って言われた。分かりてぇ〜って思って20歳くらいの頃に見返したら、ボロボロ泣いた
けど多分今見ると、エスニシティの扱い方とか、トム・ハンクスの自己満・健気演出につきあわされる女性の気持ちとか、色んなことがよぎって素直に感動できない気がする
『宇宙戦争』(スピルバーグ版)、めちゃくちゃ良くない? 超克すべき的って感じじゃなくて、理解し得ない感じ、コズミックホラー性がすごく出ていた。あと、メイキングにもあったけど「アメリカ人が難民となるとこうなる」という生々しさ。(『シビル・ウォー』にもそういう質感を覚えた)
古典を全部生真面目に見る必要はなくて、心が整ったタイミングで自然と出会い直せばいい
むしろ、そうした「古典」や「定番」のプリコラージュでしか会話できない業界人とのコミュニケーションツールとして、
古典を通っておくことは便利、くらいの感じ
育子さん、タイジンさんと話した実験映像観
table:古典の4象限
重要 重要じゃない
今見てもオモチロイ 『SPACY』『Symphony No. 9』 なんだろけ?
テンポが退屈… 『アートマン』(ごめんなさい) 取り上げるまでもない…
伊藤高志はもう少し工学的、認知的な興味に基づいている? 退屈でもいい、むしろその退屈さから学べるものもある
『工場の出口』『列車の到着』は、シネマトグラフが見世物小屋のコンテンツだった頃のもの。アトラクション的。
「フォーム(様式)」と「コンテンツ(内容)」、フォームの新奇さだけで作品を自立させようとすると、フォームが陳腐化したときに共倒れする。いい古典は、フォームの脱構築や相対化、そしてコンテンツの丁寧さや巧さ、それぞれに手を抜かない。