中村勇吾 - デザインの手前
中村 勇吾
思いの外自分と似たようなことを言っていることに驚いた
原田さんも、中村さんの収録の翌日がぼくとの収録だったようで、その話している内容のカブりに驚いたって仰ってた
AppleのUIキットとかを組み合わせて体験をつくるだけみたいなことは、容易に置換されて本当にそうなるだろうなと思うし、データベース的なイラストで目や口を変えていくような、かつて東浩紀とかが言っていたデータベース的なクリエーションみたいなものは、すぐにAIに代替されると思います。
それこそ横井軍平さんの「枯れた技術の水平思考」ではないですが、「こんなの落ちてたよ」という感じで、昔捨ててしまったものの可能性を再発見するというパターンがありますよね。(…)IT系、デジタル系は新しいネタがどんどん移り変わって、まだ食べ尽くしていない美味しかったあれがいつの間にか古くなっているみたいなことがあって。ちょっと待って、人工知能とか言っているけど、このKinectというのを実はもうちょっと触りたいんだけどな、みたいな。
デザインじゃなくてもいいじゃないか、手芸的なものでもいいじゃないか
デザイン(というかものづくり)の自己目的性
Design Thinkingは、デザイナーの思考のあり方とやらをステータス化することによって、上流工程におけるデザインの重要性をエグゼクティブに理解させるという点でとても役に立ったと思う
水野学さんのような人がDTを褒めるのは、そうすることで彼クラスのデザイナーが経営や意思決定に食い込む余地が生まれるという点で、ポジショントーク的なものだと思う。それは結果的に良いデザイン、ブランドを、クライアント企業との協働のなかで作り上げていくうえでとても役に立つものだと思うし。ただ、彼自身がDTを日々の業務に役立てているとは思わない
デザインというものの無節操な広義化は、デザインというものに噛んでいたい人たちに寄するとは思う。ただそうした人たちの(視覚表象としての)グラフィック・デザインに対する文化的・技術的理解の低さが、グラフィック・デザインの多様さを狭めていくことは惜しいなと思う
Figma、イラレ(のオーソドックスな使い方)でしかベクターグラフィックを弄っていない人