上位カテゴリとしてのアニメーション/モーショングラフィックス
MGをしていると、実写も一つのグラフィックの素材に見えるときがある
「真実を映す鏡」としての実写の上から、CGやグラフィックという人工的な虚構を、なるたけそれとバレずに載せるのではなく、何もかもがアニメーションや動くグラフィックをつくるための「素材」としてフラットに並置される感覚
中田ヤスタカも「声は素材」って言ってたけどそんな感じ。
accousticなものの中にartificialなものをブチこむか、すべてがそれぞれに異なるレベルで既にartificialなものだと見做すか、態度の違い
DAWやAfter Effectsはそういった感覚をアフォードする
baku89.icon的に
当時の僕には、こうした映像作家の方々の作品は、テレビでも映画でもアニメでもCGでもない、なんというか、とても自由なものに思えていました。神作画であるほうがすごい、リアルなほうがクオリティが高いといった正解がなく、グラフィックとして面白ければ何でもアリな世界に映っていたんです。実写を使うもよし、3Dを使うのも文字を動かすのも、手描きしたっていい。地元の本屋さんで手にした『映像作家100人』に “Japanese Motion Graphics Creators 100” という英題が振られていたのを覚えているのですが、「モーショングラフィックス」というカテゴリは、そうしたジャンルとして括りづらい「じゃないもの」全般を放り込むるつぼとしての意味合いを帯びていたような印象があります10。
マイケル・ベタンコート『モーショングラフィックスの歴史』
MGの定義 = 動く図案以上に共感覚的な映像全般を指すもの
デジタル映画とは、多くの要素の一つとして実写のフッテージを用いる、アニメーションの特殊なケースである
『ニューメディアの言語』p.621