ちゃんと仕事をする
そろそろちゃんと仕事をしようかなって思う
2020年以降、できる限り仕事をせずに低空飛行を続けてきた この上なくヘルシーで楽しいんだけど、暮らしの経済的冗長性は高めておいて損はない
ジーン界において自己複製を目指すならなおのこと
あとは、デザインコンサルや広告業界を散々見下してきたんだが、ある意味まっとうに仕事をしている人のある種ののっぴきならなさ、切実さを知ることで、見方が変わるかもしれない。手のひらを返して顧客価値最大化厨的なスタンスに対し共感が持てるようになるかもしれないし、より精度の高い見下しができるようになるかもしれないという期待もある
基本的に自分のスタンスとして、今ぼく個人が興味を持っているドメインこそが最も興味深く、また意義深いと思っている:
Glispやツール開発のこと
WIPで試している映像技法
Digital gardening
それ以外で、予算関係なく自分が寄与させて頂きたいなって思っている、尊敬する分野もある:
アカデミア(航空宇宙、Human-Computer Interaction、文化人類学、Queer Studies)
JAXA、NIMS、AIST案件良いなぁって思う
Eric WernquistのNASA案件も
音楽
出版
ショートフィルム
パフォーミング・アート(小劇場、コンテンポラリーダンス等)
ここには列挙はしきれないけれど、何らかの形で文化、コモンズ、コミュニティをcultivateすること、あるいは学術的意義を持ったものに、自分のセンスやスキルが活かされるのはとても嬉しい、そして光栄……。
それ以外に関しては、正直なところ、クライアントの課題よりもbaku89.icon自身の興味のほうがはるかに解決する価値があるという了承のもとクライアントワークをしていくことになる。当たり前な話、クライアントワークにおいて作品として最良なものを作ろうとは思わない。制約がよりよいものを生み出すこともあるが、その「制約」にも質ってものがあり、少なくとも
広告やリブランディング施策であること
余計な企み人が数多く介在すること
といったクライアントワークに典型的な制約は、個人制作で金が無いなどのその他の制約に比べても、作品の質を良くする方向には作用しないことが多い。だから、結局クライアントワークよりも個人制作こそが自分にとって重要で、そうした制作に向かえるだけの経済的余裕をもたらしてくれるという点においてのみ、クライアントワークは意義を持つと思っている。
だって辻川さんだって、UNIQLOのCMよりも(十十のようなVFXプロダクションが関わる案件としては)かなりローバジェットで作ったCorneliusのMVこそが映像史に残っていくことになるだろうし、川村さんだって高校の同級生のためにタダでつくったMVが(HIDARIがどうなるかは置いといて)未だに彼のキャリアにおける最高傑作なわけだし。
CSR、メセナ系の案件、あるいは教育番組のような例外はある
それを直接クライアント企業の担当者に言うつもりはないが、少なくとも製作・制作サイドではこの視点を共有しておく必要があると思っている。そしたら「生みの苦しみ」を味わってハイになるための下手な徹夜ごっことか、仕切ってる感グランプリを勝ち抜くための必須とはいえないフィードバックをして疲弊することもない。みんなのつくり手としての人生にはもっと重要なことがあって、もちろんお仕事としての最低限の誠実さやクオリティコントロールは必要だけれども、あくまで予算やワークライフバランスを加味した、ほどよい頑張りで良いよねっていう了承はもっておくほうが、結果的に(個人制作や自主プロジェクトも含めて)良い作品を生み出す可能性を最大化することに繋がる。
どう精神衛生を保つか
お仕事としては正解だが、あまり自分の名義で自分のポートフォリオには乗せたくないという案件も存在する。
これは誰が悪いとかそういう話でもなく……。
一方で、作品として見せたくないけど、信用として、ステータスとして見せていきたい案件というのもある。
屋号をもつっていうのは大事な気がする。気持ちの分離。