迷う身体性
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「私は何でもできる」「私は何もできない」どちらも、何もやらない人間の妄想でしかない。 何かを始める、すると、自分が何でもできるわけでも、何もできないわけでもないことが知れる。そして「やった分だけできるようになる」わけでもない。現実のなかで「迷う」とはそういうことである。 現実を生きていくときに、どこかに地図があると思ったら大間違いだ。けっきょくのところ、迷っているうちに身についてくる方向感覚だけが、真の拠り所となる。見通しの悪いところで、自らの内なる方向感覚を頼りに歩いていく。この身体性が、「お勉強モード」の秀才君には、うまくつかめない。