贋酒性
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「贋酒性」は哲学のようでありながら、哲学ではないという、永井均.iconの言葉
ドストエフスキーやトーマス・マンの作中会話などが代表例だが、一般には哲学者と認められている人の叙述にもその贋酒性を感じることは多い。が、大学一年生の答案や高校生の発言にも時にその逆を感じることがある。私の感じるこの絶対的な差異(断絶)を人に伝えるのは難しく試みて成功した試しがない。ドストエフスキーやトーマス・マンの作中会話などが代表例だと言ったが、不思議と死霊 埴谷雄高にはあまり贋酒性を感じない。あれはこの世の人間が哲学的な話をしているわけではなさそうだ。
@hitoshinagai1 Oct 22, 2021
(AZUSA SYNDROME 鈴木康夫について)新着ランキングの日本文学で2位になっていて、期待していなかった発行者が「なぜ?」と驚いているそうです。著者は「ただの変な本であるにもかかわらず…」と言っておられましたが、それは謙遜で、実は類例のない本格的な哲学小説です。類例がないというのは、作中人物が哲学的会話(みたいなもの)をする小説は多いが、ドストエフスキーもトーマスマンも埴谷雄高も…実のところは読むに堪えない代物だから。少なくとも今のところそして私の読んだ限りでは、鈴木さんの作品以外に読んで考えるに値するものに巡り合っていない。これ本当。
@hitoshinagai1 Sep 28, 2017