言語的世界像
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なぜなら、言語は自他に共通の存在者の存在を起点として初めて成り立つ、世界が本質的に一枚の絵に描けることを前提にした世界把握の方法だからである。私の問いはそれに起点から異を唱えている。言語的世界像を前提する限り、この問いはそもそも存在できない。ウィトゲンシュタインはこのことを「独我論は語り得ない」と表現した。 言葉自体の持つ情報量は少なく、コミュニケーションできるレベルの情報量にするためには(≒意味をもたせるには)、それを補う”文脈”が必要となることがある、って感じだろうかggkkiwat.icon