沈黙交易
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上妻世海.icon 最も古い交換経済の一つとして、先ほど例に挙げたヘロドトス「歴史」で記されているものがあります。それは、リディアの黒人と古代ギリシア人の交易で、言葉を介さず、お互いを見ない仕方で行ったり来たりする方法であったとのことです。それは現在では沈黙交易と呼ばれており、経済人類学者・栗本慎一郎はこの沈黙交易を原初の交換経済であると定義しています(参照:経済人類学 栗本慎一郎)。 栗本は、沈黙交易の現代的事例として西アフリカのフェルナンド・ポー島の事例を引きます。そこでの交易は砂浜に線を引いて行われるものなんですが、たとえば、僕がその線上に鉄を一〇個持っていき置いたとします。その後、僕は線の場所から離れていくのですが、すると、もう一方にいた別の人が線に近づいてきて、たとえば銅を一三個置くわけです。その後、僕がまた線のところに近づいていき、確認します。仮に一三の銅で納得できなかったら、また離れていきます。すると、もう一方は、一四にしよう、一五にしようと銅を増やしていき、僕が納得できたら、ようやくその鍋を持って帰っていくわけです。そして、それを見た相手も僕が引いたら鉄を持って帰っていく。(…)なぜ彼らがそんな変なことをしていたかというと、当時は現代社会のように法が一元的に人々に膾炙していたり、警察組織が暮らしを管理していたりしたわけではないので、他人同士が何かを交換するとなった時に、相手が銅をいっぱい持ってきている以上、その相手を殺して、全部の銅を奪い取ることもできなくはなかったんです。あるいは、逆に相手がそういうことをしてくる可能性も常にあったわけです。つまり何が言いたいかというと、かつて他者というのは、そういう分かり得ないものとして、リスクを秘めたものとして存在していたということです。もちろん、交易が可能ということは完全に分かり得ないわけではなく、分かり得る側面と分かり得ない側面があったということであって、僕はこれを「併存的な二重性」と呼んでいますが、他者というものはまさに良くもあり、悪くもあるという二重性の中にあり、だからこそ、そうした特殊な交換のシステムが必要だった。ハイデガーの言う「道具連関」から離れ、他者にアプローチするためには、本来、そうした命がけの跳躍が必要とされていたということです。(p127-128) これはいわゆる「多様性」への批判でもある。心地よい生活は、見せかけの多様性の上に出来上がっている 俺たちは真に「他者と付き合う技術」を持っているのだろうか