正統は平衡
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正統は何かしら鈍重で、単調で、安全一なものだという俗信がある。こういう愚かな言説に陥ってきた人は少なくない。だが実は、正統ほど危険に満ち、興奮に満ちたものはほかにかつてあったためしがない。正統とは正気であった。そして正気であることは、狂気であることよりもはるかにドラマティックなものである。正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡だったのだ。(p179) 人々の心理的平衡状態(追記=常識)を(活力・公正・節度というふうに)抽象的に規定することはできても、それを(歴史の名において)具体的に規定し切ることは不可能である。なぜといって歴史はイリヴァーシブル(不可逆)であり、人々が必要としているのは現在という名の(歴史上一度かぎりの)シチュエーション(状況)における平衡の具体的な規定だからだ。そういう具体的な矛盾のなかでの平衡のことをさしてチェスタトンは「荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡」とよんでいる。そんな高度の英知がコモンマンたちに備わっているはずがない。