文字なしで統一されていた日本
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清水高志.icon 日本の変なところといえば、日本文化の核心「ジャパン・スタイル」を読み解く 松岡正剛を読んでいて改めて気がついたんですけど、文字文明が入ってくるより前に日本列島って東北近くまで統一しているんですよね。これは人類史的に見てもわけが分からない。文字なしで国家が統一していて、そこに随分遅れておもむろに文字が入ってくるわけですよ。こんなこと普通は考えられない。 そういう状況において大事な役割を担っていたのが、おそらくメッセンジャー、つまり「みこともち」なんですよね。「みこと」というのは下し、伝えられる言葉のことで「みこともち」たちは各地を経巡って、「こういうことが語られたぞ」というのを演じてみせ、また迎え入れる側もそれを歓待するわけです。日本ではその後、かなり後になっても放浪の芸能民が宗教者としての意味を持っていたりしますが、その名残もあるのでしょう。よく分からない遠くからやってきた人間によって「これは本当ですよ」と語り伝えられたことを、「まことである」として本気にして聞いてあげるっていう、不思議な文明なんです。「誠」とは何か?というのも幕末あたりまで続く日本の文明の一大テーマですよね。空間的にもそうした不思議な信憑によって成り立っているし、また時系列でも過去からそういうものを連絡と引き継いでいる「みこともち」が帝である、と考えていた。 そんな風だからか、昔から日本の識字率は高いと言われるけど、どこか無文字文化性が高い。村単位の秩序みたいな、よく分からないもので日本は自律的に動いている。(p182-183)