国学
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国学の方法論は、国学者が批判の対象とした伊藤仁斎の古義学や荻生徂徠の古文辞学の方法論より多大な影響を受けている。国学は、儒教道徳、仏教道徳などが人間らしい感情を押し殺すことを批判し、人間のありのままの感情の自然な表現を評価する。 契沖以後の国学は、古代日本人の精神性である「古道」を解明していく流れと、実証により古典の文献考証を行う流れとに分かれて発展することとなる 古道説は賀茂真淵、本居宣長により、儒学に対抗する思想の体系として確立されていき、主に町人や地主層の支持を集めた。この古道説の流れは、江戸時代後期の平田篤胤に至って、復古神道が提唱されるなど宗教色を強めていき、やがて復古思想の大成から尊王思想に発展していくこととなった。 国学とは江戸時代中期に行われた、『万葉集』『古事記』など日本の古典が研究された学問のことです。その研究活動を行う中で、儒教、仏教と言った外来の思想を中心に行われてきた旧来の学問を批判し、純粋な日本の思想を追求しました。 彼らの思想は、「純粋な日本人らしさ」という復古的な色合いを持っていたことから、後に尊王攘夷運動に繋がり、また、復古神道という新たな神道体系を作り、吉田神道を中心とした既存の神社界の秩序を批判しました。 明治~第二次世界大戦までは、天皇を現人神とし、伊勢神宮を頂点とする神の秩序が支持されたが、その秩序が成立する前に復古神道を国教化しようと挑戦した 『源氏物語』や『古事記』の研究を通しての宣長の主張は、
儒教、特に朱子学はすべてを理屈で説明できるとしている「からごころ」の思想である
しかし、実際にはすべての現象は神によるものとして説明でき、その思想が「やまとごころ」である
「からごころ」に毒されていない日本人の真心を「もののあわれ」と言い、和歌を詠むことは「もののあわれ」を表現する方法である
そのため、和歌を詠むことは人間の本質的な行為である
古事記と日本書紀で初発神が違う
古事記:天地が生成されるのと同時にアメノミナカヌシ(天之御中主神)が現れ、その後クニトコタチ(国之常立神)らが現れる
日本書紀:天地の生成の中からクニトコタチが現れる
吉田神道、林羅山の儒家神道、伊勢神道(度会神道(※))はこれ
明治政府は伊勢神宮を中心とした方針を支持
明治政府の方針である、伊勢神宮を頂点とし天皇を絶対的なものとする秩序を守る
アマテラスを祭っている伊勢神宮を頂点とした神社界の秩序を定める
天皇のもとに近代化を進める
復古神道を重視し、出雲大社を伊勢神宮と対等にしようとする
結局伊勢神宮を中心とした神の体系がその後の天皇制を支えるイデオロギーとなった