古典的自由主義
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個人の自由(所有権)のために「小さな政府」を志向し、国家の役割よりも市場の役割を重視する 国防、治安、司法、公共財に加え福祉サービスの供給など、国家の役割を部分的に認める
政治学で使われる場合の「古典的自由主義」は、経済的自由と個人的自由の両方を含んだ概念
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古典的自由主義・・・個人的自由・経済的自由を共に重視し、部分的な国家の役割を必要と考える立場
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古典的自由主義・・・国防、治安、司法、公共財に加え福祉サービスの供給も国家の役割
「国家の役割をどこまで認めるか?」という論点で立場が分かれる
無政府主義や最小国家論を「ハード・リバタリアニズム」、古典的自由主義的な立場を「ソフトリバタリアニズム」と呼ぶこともある 国家は国民の所有権(生命、自由、財産の権利)の調整、保護のために存在する
財の供給を市場に任せれば「見えざる手」によって自動的に調整され、需要と供給が釣り合い、もっとも効率的になる そのため、国家は市場に介入すべきではない
国家の役割は経済の統制ではなく、「国防」「司法」「公共事業」のみである
アダム・スミス.iconは部分的に国家の役割を認めているので、レッセフェールではない 国家の市場への介入を否定し、民営化、構造改革、小さな政府を主張する政治的立場
本来の古典的自由主義は、国家の役割を部分的に認める立場であり、それはどこまでも「小さな国家」を目指す新自由主義とは異なる
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