サロン
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フランス語で客間。主に17―18世紀フランスで文学者,芸術家,上流婦人が優雅な会話を楽しんだ集まり,およびその場所をさす。さまざまな人士の出会いの場ともなり,古典主義文学や啓蒙思想をはぐくむ役割も果たした。ランブイエ夫人のサロンが最初といわれる。また,美術では1667年以来,王立アカデミーの展覧会がルーブル宮の〈サロン・カレ(四角の間)〉で主として催されたことから,毎年定期的に開かれる美術展をサロンと称するようになり,アカデミズムの牙城となった。サロン・ドートンヌ,サロン・ド・メなどがあり,単にサロンといえば官展をさす。
女性の参加をほとんど認めなかったクラブやフリーメーソンと異なり、男性と女性が集う両性混合の社交形態である。 この女性文化の流れは、ルネサンスのイタリアやフランスの宮廷で花開き、啓蒙主義時代の文化的サロン、ロマン主義時代のサロンとゆるやかに変化しながら続いてきました イタリアルネサンスの広がりとともにフランスでは、カトリーヌ・ド・メディシスに代表されるヴァロア王家の女性たちによる、洗練された宮廷社交が繰り広げられ、ルネサンスの影響もあって16世紀にはすでに階級を超えた女性教育の時代になっていました。宮廷の義務や堅苦しい儀礼の外に、本来の意味での最初のサロンがパリの市中、ランブイエの館で始まりました。 イタリアの洗練された宮廷に親しんだ後、フランスに帰国した夫人にとって、アンリ4世の宮廷は非常に粗野なものと感じられた
(引用)城が建ち騎士道と聖母崇拝が結びつけられ、騎士たちは意中の貴婦人たちに心の純潔を捧げる。男性の心に占める女性の地位が高くなることが、慇懃(ガラントリー)の精神を培うことになる。余暇とガラントリーはサロンの発達のための二つの大きな基盤である。
サロンとクラブ
(引用)十八世紀フランスは婦人のサロンを培養した。サロンを主催したのは高等淫売婦(コールガール)や、王の愛妾や、貴婦人たちだった。革命が起こり、民主主義の世となると、貴族のサロンにかわってクラブ――つまり貧民の《サロン》――が登場する。ジャコバン派の諸クラブがフランスじゅうに大きな網を張りひろげる。でもそれらクラブも、やがて革命の敗北とともに滅びさり、ふたたびサロンが反動勢力をよりどころに政治的影響力をとりもどしはじめる、という巡り合わせた。<ガリーナ・セレブリャコワ/西本昭治訳『フランス革命期の女たち』(下)1973 岩波新書 p.102>