ギブスとしての国家/皮膚としての国家
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ホセ・オルテガ
のいった「
ギブスとしての国家
」と「
皮膚としての国家
」という対比である。
ステーティズム
(
政府
主導の国家運営)は、政府の機構があたかもギプス(身体拘束)のようなものとなって国民の自発的な活力を殺ぐことになる。それにたいし
ナショナリズム
(
国民主義
)にもとづく
国家
は、あたかも
皮膚
が外界と(空気呼吸や分泌物排出という形で)交流しているように、またあたかも皮膚が様々な器官と無数の細胞を外界から保護しているように、国際的に開放的な一活動(
外交
)と国幹的に閉鎖的な活動(
内政
)の両面にたずさわっている。(p61)
保守の辞典 西部邁