主体を安定させるためのタトゥー
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ジャック=アラン・ミレールが、現代のタトゥーは、主体性の不安定に対処するための擬似的な「父の名」だと論じている。とくにアメリカでは、グローバル資本主義における脱コード化によって居処を失った主体が自分自身のカタチをなんとか固定するためにタトゥーを入れているのだろう。同じことが、ファッションについても言えるだろう。ますます流動化する状況のなかで、ファッションは、誇示して差別化するためというより、自分をなんとか固定するミニマムなスタビライザーとしての機能を強めているように思われる。 他方で、(ラカン的な見方での)安定装置としてのタトゥーというより、自分がタトゥーに-なるような、戦争機械としての新たな主体化に関係するタトゥーがある。ドゥルーズ+ガタリ的な。自動的装飾の展開。それは、資本主義の流れからアウトするような「別の流れ」そのものになろうとすることだろう。