コミュニティのソート
田舎の濃密なコミュニティに耐えられなくて東京に出てくる人(なのでみんな地方出身)っていうのが伝統的に語られてきた東京人観だと思っていて,東京の匿名性(周囲の人間に無関心)が心地よくて感動したみたいな話がよくあると思います.上記の記事にあるようなコミュニティ機能を重視したマンションという概念はそうした東京人観に反しているように思えます.これに対する解釈として「東京の分譲マンションを買えるような"上流階級"だけが集まるコミュニティは心地が良い」という話を聞いたことがあります.なるほどなと思ったんですが,一方では地方においてはいわゆる”マイルドヤンキー”がコミュニティを強く持っていて幸せに暮らしているという物語が存在しているわけです(マイルドヤンキーは"上流階級"ではないですよね).
この2つの物語をアウフヘーベンして出てくる解釈ですが,「コミュニティがソートされると心地が良い」もっと直截に言うと「同質性の高いコミュニティは心地が良い」ということだと思います.しっかりクラスタリングされているコミュニティは心地良い.田舎から出てこれる優秀な人間というだけで,東京にいる人は既にクラスタリングされているわけです.きっちりクラスタリングされた集団の中では,人々はコミュニティの活動を活発にしたくなるのですね.最近はシェアハウスも流行ってるみたいですが,背景にはそういう話があるのかもしれません.
上の記事の内容にも関連するのですが,田舎のコミュニティがなんで嫌なのかというと,コミュニケーションが強制されるというのが大きいと思うのですよね.土地に縛られているので,合わない人間とのコミュニケーションが必然的に発生するし,逃げ場がないという話.シェアハウスというのはメンバーが流動的なので,そこら辺が多少薄まるというのがあるらしい.嫌になったら他のシェアハウスに引っ越しすればいいという話なのでね.ローンもないし,場所にもよると思いますが家具とかが一通り揃ってるケースも多いようなので引っ越しも恐らく楽なのでしょう.
ここで気になるのは「分譲マンションって全然メンバーが流動的じゃないよな」というところです.多くの人はローン組んでマンションを買うわけで,軽々に引っ越すことはできません.そう考えると、始めのうちはいいかもしれないんですが長い間住んでると結局そこも村社会化してくる可能性が高い。そのような空間での生活を検証することで、ソートされたコミュニティであれば流動性がなくても快適なのか、はたまた気軽に移動できるということそれ自体から快適さ生まれるものなのか、ということがわかってくるんじゃないかという気がしている。
そういえば、熊野寮も「学歴」という基準でソートされたコミュニティなわけだが(厳密には例外もある)、ある程度の快適さは担保されているもののストレスフリーとは言い難い空間だ。流動性はそれなりに担保されている。特に近年(2018年頃)は長年住み続ける長老的存在を疎ましく思う声が強くなっていて、長老の数は減っている気がする。ある基準でソートしても、それは「生活の快適さ」という基準でない限りは、生活の快適さに対して最適化されるわけではないのだ。