辺境の国ドマ
東州オサード大陸のヤンサ平原を領土としていた都市国家。
その昔、ひんがしの国からオサード小大陸へと渡りヤンサ平原へと移住した人々が小さな集落を作り暮らし始めた。集落のような集団社会で暮らすと自ずと力のある者、それに従うものが生まれ始める。そうして約800年前頃にはヤンサ平原に沢山の豪族が乱立し、領土の奪い合いを繰り返す戦乱の時代となっていった。。そんなヤンサ地方にて、弱小豪族の長「ガンエン・リジン」が幼き頃より学んだ「風水術」や、出自に囚われない「人材登用術」などを活かし、次々と周囲の豪族を取り入れ、勢力を伸ばし、ヤンサ統一を成し遂げると辺境の国ドマを建国した。ひんがしの国由来である忍者や侍など、独特の文化をもっていたドマは幾度か支配権を他の有力一門に渡したこともあるが、比較的大きな混乱もなく平和な国家として続いてきた。だが約300年前、他の一門からリジン家が支配権を取り返して久しいこの頃、当主の「セイエン」は平和ボケした典型的な駄目当主で、遊興に明け暮れ、借金を繰り返し、税を上げ民から金を取るような暴君であった。密命を帯び、ひんがしの国から渡来してきた忍び「サスケ」は、圧政に苦しむ民を見て、幽閉されていた弟「ショウエン」を救出し、反乱軍を立ち上げ、セイエンを打ち倒した。その後ショウエンの願いで、サスケはヤンサに留まり、暴君が出ないよう国主一族を監視すると同時に、密かに「忍びの里」を開き後進の育成に励も励んだ。。
忍者による国家運営の監視の甲斐もあったのか、平穏に時は流れたが、25年前にガレマール帝国が侵攻し、軍事拠点「カストルム・フルーミニス」を設営、時のドマ国主「カイエン」は侍衆などを率いて抵抗したが、帝国の戦力には耐えきれず降伏。こうしてヤンサ地方はガレマール帝国の版図に組み込まれた。ガレマール帝国の属州となってからドマの民の間では独立を求める声は強く、度々、反乱が起こってきたが、当主をはじめ上層部は宗主国に対し従順な態度を取り、この降伏の4年後、カイエンは「副総督」の地位に据えられている。だが、従順な態度にガレマール帝国が油断した隙を狙い、帝国の次期皇帝を巡る内乱に乗じて、ドマは雌伏の時を経て反乱を起こした。一時はドマ城を奪還し、帝国軍をヤンサから駆逐するかと思えるほどの戦果を挙げたが、ガレマール帝国はこの鎮圧に皇太子ゼノス率いる第XII軍団を援軍に送り、この反乱軍を壊滅させた。この戦いでガレマールを手玉にとった策士、当主カイエンは戦死。息子のヒエンは少数の兵と殿を務めたが行方不明となった。
ドマ城陥落の寸前、上忍ユウギリに率いられた一団は大型船に乗り込んだものの、帝国との衝突を嫌う「ひんがしの国」は難民の受け入れを拒否したため、彼らはエオルゼアを目指すことになった。