日本語エントリー: 妖怪ボディ / JP
寄稿者: 松本奈々子、西本健吾/ チーム・チープロ
パフォーマンスユニット。主な拠点は東京。身体の批評性をテーマに活動してきた。近年は、リサーチベースのダンス作品を制作している。)
https://www.chiipro.net/
起源:
「妖怪ボディ」は、民俗学や妖怪学の蓄積を借りて、パフォーマンスユニットであるチーム・チープロがその芸術実践から生みだしたアイデア。なお、妖怪は日本の民間伝承に登場する超常的な現象、あるいは存在である。
文脈:
「妖怪ボディ」とは、「イマジナリーボディ」※1と「妖怪」※2 の特性に基づき編み出されたひとつの身体論であり演技論であり振付論である。
※1「イマジナリーボディ」は踊る身体に憑依するものであり、観客が観るものでもある。それは踊る身体と同一ではない。イメージの集合体である。(チーム・チープロの造語)
※2「妖怪」とは、土地やそこに住む人々が共有する身体感覚に根ざした超自然的な存在であり、多くは退治・追放の対象となる(小松和彦『妖怪学新考』講談社)。
①「妖怪ボディ」は複数のイメージを身体に重ねていくことで現れる、変化や移行(=化ける)の状態である。この変化や移行の状態は人を惑わす(=化かす)。
妖怪は化けるものであると同時に、化かすものである。
「妖怪ボディ」は踊り手自身が異形の姿へと想像力によって変身する(=化ける)ことで、フィクションを構成する(=化かす)ためのアイディアである。チーム・チープロにとって、その端緒となるイメージは漫画家・手塚治虫が描いた、身体が変身する官能的な動きである。
②「妖怪ボディ」は特定の場所の歴史や記憶、出会ったものなどの雑種的で越境的なイメージを纏うことで、変身を試みる。
妖怪は場所や空間に関わる怪異や想像力である。民俗学者・柳田國男は『妖怪談義』のなかで幽霊と妖怪を区分し、幽霊は特定の人を狙い、憑くものであるのにたいして、妖怪は出現する場所が決まっており、相手を選ばないと書いている。
この考えを踏まえ、「妖怪ボディ」は、特定の場所をめぐる想像力・歴史・記憶に身体的にかかわる。特定の場所をめぐる想像力を借りて変身を試みるパフォーマーは観客とも、この世界と時間とは異なる身体感覚を共有する。
③「妖怪ボディ」が纏うイメージは言葉によって想起される。
妖怪とは個人の身体的な違和感が共同体において共有されたる際の、身体感覚のメタファーであるとも言われる(伊藤龍平『何かが後をついてくる』青弓社.)。そのメタファーは、イラストのように図像イメージでも流通するが、他方で言葉による語りによって共有されてきた。
「妖怪ボディ」における言葉は身体と空間を走る線(ライン)であり、何事かを画定するが、言葉が想起させるイメージは言葉と同一ではない。イメージを纏う妖怪ボディは言葉と駆け引きをする。ラインを超えたり、ラインを歪めたり、ラインに縛られたりする。
「妖怪ボディ」が纏うイメージは重さを持つ。イメージは身体に重さを付与し、重さは変身にむけて動きを生み出す。
④「妖怪ボディ」は、妖怪や怪異との接触・出会いのイマジネーションを語り直す。
安井眞奈美が論じるように、妖怪が表象するものとして、また妖怪に狙われる身体として、たびたび〈女性〉が見出されるという(『狙われた身体』平凡社.)。そこには、男性から女性に向けられる眼差しを読み取ることができる。また、「妖怪」のひとつである「河童」は、動物・非人・河原人・山人・隠れクリスチャン・人形・女性のイメージと関わりがあるといわれている(中村禎里『河童の日本史』筑摩書房.)。このような「妖怪」のイメージは、それらを恐れ、忌避する感情や規範に依拠している。
「妖怪ボディ」は、特定の場所をめぐる想像力・歴史・記憶において怪異や妖怪として共有されている違和感や忌避する感情をたどり、それを転じて化けることで、共同体における異形をめぐるイマジネーションの別の可能性を想像することを試みる。
⑤「妖怪ボディ」はアジア地域における地政学的な文脈のなかで妖怪や怪異との接触・出会いのイマジネーションを捉えていく。
妖怪は日本の民間伝承に登場する超常的な現象、あるいは存在である。いっぽうで、妖怪は移動する。たとえば、河童についての伝承は日本各地に存在するだけでなく、「アジア圏」の水辺に類似するものが存在しているという。
「妖怪ボディ」は、アジア地域の地政学や政治性に、妖怪や怪異との接触をとおしてアプローチしていく。