普通の蒐集について
このサイトは「普通」を蒐集する目的で、島田の小さな映像制作ユニット・カギカッコ(小野寺啓)が設置しているものです。
カギカッコでは「普通」とはなんなのか?「普通」の正体は何か?「普通」は一体どこから来たのか?に興味を持ち、それを探すためにこのサイトを作っています。
私は、すでにいくつかの「普通を蒐集するためのプロジェクト」を実施しています。
--
・生きづらさについて“正直”に話してみるYouTubeチャンネル『生きづらジオ』
https://www.youtube.com/channel/UC0IKDZhMPAE3amcyZOkC2FQ
・すごい人のすごい話…ではない話を集めるローカルメディア『島田ジブンゴト新聞』
https://jibungoto.news/
--
『生きづらジオ』は、「生きづらい」という、現代社会の中では誰もが感じるごくあたりまえの感覚について、メンヘラ・バツイチ・引きこもり・無職(双極性障害2型+ADHD+ASD)のおじさんとそうでないおじさんの二人が、自分たちの感覚に正直になることを心がけながら延々とお喋りしています。
「普通はこうだよね」というような一般性や普遍性に辿り着こうとするたびに、「いや、それはとても個人的で特殊なことだな」ということがわかったりして、つかみどころがありません。
『島田ジブンゴト新聞』は、カギカッコが拠点を置いている静岡県島田市地域で、地域の方に、ご自身の話をご自身の手で記事にしてもらっています。
「すごい人のすごい話ではない話」を集めるからには「普通の人の普通の話」が集まってくる…、と、思いきや全然そんなことはなくて、どんな人のどんな話もそれぞれにユニークであり、面白いです。
これらからわかってきたことは、個別の人や出来事に注目する限りは「普通」なんて存在しないということです。
なのですが、一方で日常的な感覚としては「普通」はやはり存在しているように感じます。
「普通においしい」とか「私って普通だから」というような発言や感覚や、あるいはそれらが反転した感覚として「テクノロジーのチカラで普通から脱却しよう!」というようなスローガンはよく見かけるし、自分でも感じたことがあります。
それぞれの中で「普通」は満たすべき一定の水準であったり、自嘲気味に語られる保守性であったり、克服すべき旧態であったり、良くも悪くも特殊な何かの比較対象だったりします。
実態は無いにも関わらず、日常的な感覚の中では確かに存在している「普通」がなんなのかを知りたいと思って、このサイトを作りました。
このサイトでは、私が「普通」の正体に迫るために役に立ちそうな「普通の断片」を蒐集していきます。
一体何が「普通の断片」なのかはさしあたり私の感覚で決めるしかないのですが、蒐集を続けていく中で少しづつ分類方法がわかってくるかもしれません。
現在は、私が拠点を置いている静岡県島田市・大井川流域での蒐集が主になりますが、それ以外の地域のものも蒐集しています。
//////////
《このサイトについての問合せ先》
島田の小さな映像制作ユニット・カギカッコ(担当:小野寺)
https://kagikakko.net/