ドキュメントを書かなくなってもコミュニケーションはなくならない
ウォーターフォール・モデルで開発することが格好悪いとする風潮があり、それに伴ってか計画書や設計書を書かないようになってきている。それでも口伝するわけにもいかず、どこかには書いている。要求機能一覧であったり、チケット管理ツールであったり、チャット上であったり。それをなぜ書くかといえばコミュニケーションするためだ。
ドキュメントを書かないことでコミュニケーションは断片的になっている。チャット上では、聞きたい側が聞きたいことだけを尋ね、聞かれた側が聞かれたことだけを答える。これは一見良さそうだが、断片的なコミュニケーションは誤解を生み、ただそこに置かれ続ける。断片的になった分やりとりだけは多い。
意図が伝わらないまま、あるいは誤解されたままのやり取りはひとつにまとまっていかない。ドキュメントを書かない分やりとりは多くなるが、それをまとめる力がはたらないていない。誰もが話をまとめたつもりでいるが、各々で独自に解釈しているに過ぎない。あるいは自分に無関係な話として気にも留めていない。
単にドキュメントを書いて用意しておけば済むケースは思っているよりもずっと多い。これではまるで、ドキュメントを書かずにコミュニケーションを成せと縛りを設けているようなものだ。