読者を選ぶこと
ブログなどを書く際にはできるだけ読者を選ぶようにしている。
自分へのフィードバックを目的に書く場合の理想的な文章とは、想定読者にとっては分かりやすいがそうでない人には全く意味がわからないような文章であり、それを心がけて書くようにしている。
なぜなら、一般的に「分かった気になる」のは悪いことだからだ。
「分かってないのに分かった気になる」人間は著者にとっての最大の敵である。
そういう人間をできるだけ生み出さない、「よく分かる」か「全くわからない」かに読者の反応がきっぱり分かれるような文章こそが最も良い。少なくとも「発信」という観点では。
これは著者にとっては敵を作らないという点で(得をするという意味で)良いことであるが、また読者たちをそのような意味で「悪い(=恥ずべき)」人間にしてしまわないという点で #倫理 的にも善いと言える。 ------
もちろん「フィードバックを目的にしない」文章、たとえば本当に文脈を共有しない相手や初学者に教える場合はこれは成り立たない。文字通り分かってない人を引き込む、あるいは引き上げる際にはいったん相手を「少しだけ分かった(=恥ずべき)状態」にしなければならないからだ。
これは、潜在的には相手を恥の状態に置くということである。ここで著者はいわば罪を犯すことになる。
それを超えて書くためにはつまるところ、自分がその罪を背負ってもいいという一種の「愛」(すなわち「汝の敵を愛する」ような種類の愛!)が要求されるのだ。
「汝の敵を愛せよ」を、文脈を共有しない相手に向けて文章を書く際の心構えとして解釈するのは気が利いてて良いかもしれない。