大抵の二項対立は両方できる人が一番えらいという答えしか残らない
「A よりも B の方が大事」みたいな主張を見ると反射的に A と B を両立できている人間を探してしまう
大抵の場合そういう人はいるので、それ以上話を聞くのがばかばかしくなってしまう
たとえば「考えるより手を動かしてる人が偉い」みたいな主張を見ると、考えるのも得意なプレイヤーみたいな人をぶつけて黙らせたい気持ちが湧いてしまう
一部の天才とかじゃなく、意外とそういう人いるよなーみたいな内容なので特にばかばかしいのかもしれない
B には精神論のようなものが入ることが多いので、余計に反発する気持ちが出やすいのかもしれない
もちろん、上の主張をする人はそういう話がしたいのではない
「誰もが両方できる超人ではないのだから、どちらかを選ぶとしたらどっちが大事か」という話をしたいはず
それ自体は自分も理解できる
できるのだが、A と B のどっちをとるかを迷っている時点で本当は両方取りたいはず
それは第三の項である C を犠牲にすれば達成できるのでは?と言いたくなってしまう
「本当は両方取りたい」が偽の場合もある
その場合なにかに追い詰められて A か B しか見えてないことになる
だとすると、追い詰められている原因(追い詰めている相手)こそが C という結論になるだけ
ただこれは他に選択肢がある人間だから言える話にすぎないかも
大抵の場合、A と B を両方達成できているように見える超人も、何かしらを犠牲にしたり妥協している
場合によってはそれ(C)が「人間らしい生活」とかかもしれない
ので、実際に真似できるかはわからない
が、ともかくこういう話になるとそこで話を聞くのをやめて C を探したくなってしまう
捨てずに済むならもちろん最高
しかし、そういう話もいっぺん C を探したほうが考えやすくなると思う
犠牲にしたくないものばかりが挙がるなら、それらを捨てなくて済む方法を考える気にもなるはず
できる限り C を捨てずに済む方法が発明された場合にそれがイノベーションと呼ばれたりする