フォロワーという関係
「フォロワー」という単語はふつうの意味での「友人」「知人」では表現できないニュアンスを持つと思う。
我々は Twitter で最も好きな相手(あるいは相手たち)を指すときの指示代名詞として「フォロワー」という。
そこには「友人ではない」というニュアンスもあるにはあるが、総じてポジティブな意味で使われていると思う。
なぜか?「フォロワー」とは精神的な連帯を、直接的な交流なしで可能にする人間関係だからだ。
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観測と解釈によってのみ構成される精神的な連帯。
それは、直接的な交流にくらべて「本物ではない」ようにも見える(音声コミュニケーション中心主義!)が、
たとえば本を読んだ結果作者に「私淑」することが可能であるのと同じ程度には、可能な関係である。
日常生活における相互的な私淑。ここで「私淑」と書いて「フォロー」というルビを振ってもいい。
私淑=フォローは、パロール的な友情(声で直接話していることを根拠にした友情)の概念を脱構築する。
公的な私淑、すなわち「公淑」というものが考えられる。これは普通の意味での師弟関係ではなく、いわば「淑しあう」関係である。