せっかく良いことを言っているのに嘘になってしまうフレーズ
たとえば「わざと難しく書くだけなら誰でもできる」というフレーズ。
難しい文体を使ってしまうことを戒めるのは大事だし、易しい文章を書くほうが難易度が高いというのも事実かもしれないが、それはそれとして言ってることは嘘であるみたいなやつ(誰でもできるわけではない)。
こういうフレーズが好んで使われる背景は、言葉を選ばずに言うと「アスペ避け」である。
文章の中にわざと真偽的には間違った部分を入れておくことで、素直に戒めの部分を受け取る相手と受け取らない相手を選別することを狙っている(意識的であれ無意識であれ)。
マナー講師と呼ばれる人々は、この「せっかく良いことを言っているのに嘘になってしまうフレーズ」を使いつつ、意図の良さを以て反論を封じる(そこにひっかかりを覚えない人に向けて語る)ことを得意としている。彼らがウケる理由とある種の人に嫌われる理由は全く同じところにある。
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似ているが構造が異なるものとして「楽しんだ人間が勝ち」というフレーズがある。
これの意味するところ自体はきっと事実だろうが、それを敢えて言うという状況を考えてみると良い。
ただ1人で楽しんで勝つだけでは満足できず、それを人に向けて言うことで「もう一度勝とうとしている」。このさもしい意図がせっかくのフレーズそのものを嘘に、あるいは台無しにしてしまう。
これは「単体では嘘ではないが、口に出すことによって嘘になってしまう」という点が「わざと難しく書くだけなら〜」と異なる。これとまったく同じことが「口を動かすよりも手を動かすほうが尊い」などのフレーズにもあてはまる。
真に勝っていたければ、黙って勝っていなければならない。本当に口を動かすより手を動かすべきだと思っているなら、その事自体も黙っていなければならない。