Grokで人のポストを要約する人間は何をやっているのか
#Twitter でGrokを用いて人のポストやリプライを要約する人を観察しててその行動を不思議に思うことが多かった 返答として「でもGrokはこう言ってますよ」がなぜ成立すると思っているのか、とか
レスバの勝敗をGrokに判定させようとしたり、Grokで要約しづらいものを悪い説明として処理するとか
彼らが結局何を考え何をやっているのかの仮説を自分なりに記しておく
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おそらくだが、こういうのは単なる知的怠惰というより(それもあるだろうが)、「言論の決着が客観的につかないことへの耐えられなさ」である程度説明がつくのではないかと思っている
レスバというものが、物理的な暴力と同様に、客観的に勝ち負けの決まるものであって欲しい(そうでないとイヤだ)という種類の発想があるように見える
これはレスバじゃない議論に対して正しさを判定するケースでもたぶん同様
耐えろよ
物理的な喧嘩の場合、いかに一方の人が勝ち誇っていようと、死んだり気絶したり病院送りになった人間は「負け」であることが客観的に判定できる
この判定のしかたもいささか乱暴ではあるが
こういう考えをしている時点で、いわゆる「試合に負けて勝負に勝つ」という種類の状況が理解できていないのは明らかだろう
物理的な喧嘩に勝つためには自由意志は必要ない(ただ客観的に力が強ければよいので)
一方インターネットの喧嘩には、そもそも客観的なKOがない
アカウントが消えたときでさえ、その人が負けたとみなすべきかはちょっと怪しい
そういうとき、本来オーディエンスは「自分はどっちに正当性があると思うか」を自らのセンスで判断しなければならない
言論の勝ち負けを判定するには自由意志がなければならない(客観的に決まらないものを価値観によって決めなければならないので)
しかしこのように、自分の主観で善悪や勝ち負けを判断することに耐えられない人がいるらしい
耐えられないと言って悪ければ、そういうことをやってはいけないと思いこんでると言っても良い
そういう人は「言論の勝ち負けが客観的に決まらないのは人類の技術が足りないからであり、本当は人間の気持ちから独立に(客観的に)判定できるものがあればいいのに」と思っている
だからこそ、Grok のような存在がそういう発想に対する答えであるかのように思ってしまう
しかし残念なことに、言論に客観的な勝ち負けがありうるとか、あるべきという考えはたぶん根本的に間違っている
Grok の判断に、Grok をつくった人間の意図や主観がないとでも思っているのだろうか
ChatGPTのベースとなるプロンプトがどれだけ意図を持って作り込まれてると思ってるんだ
手短に私の考えをまとめると
自由意志の存在に耐えられない人は、言論の勝ち負けが客観的に決まらないのを一般に悪いことだと思っている
言論の勝ち負けが客観的に決まらないのを悪いことだと思っている人は、勝ち負けを客観的に決めてくれる道具を求めている
Grok のような道具がそれにあたると思っている人が、人のリプライを要約するような行動を取っている
みたいな感じではと思っている