消費による自己表現
昔から「〇〇が好きなんじゃなくて、〇〇が好きな自分が好きなんでしょ」みたいなセリフがピンとこなくて、
ピンとこないどころかむしろ「そんなことを言ってるからお前はダメなんだ」という思想を持っていたのだが、
これは #消費 による自己表現に関する態度の違いを表しているのだと思う つまり「〇〇が好きな自分が好き」が罵倒として成立するためには、消費活動を後ろ向きの悪い行為と考える「反動的な」思想を内面化していなければならない、と言ったような。
この辺の話
YouTubeの登場は、それまで受け身で後ろ向きで怠惰な消費と思われていた、経済的な消費活動をクリエイティブと強く結びつけたので、僕らは今や「消費によって自分を表現する」ことをめちゃめちゃ意識するようになったと思う。「推し」「布教」などは、消費することによる自己表現なんだよね。
つまり「近年、作品が #倫理 的な減点方式で評価されがち」の背景にあるのって、「自己表現としての消費」が前景化したことにより、我々が他人の作品を消費すること自体に、今までと違ったかたちの責任感を持ち始めているということなんじゃないかと思うんだよね。