平成の価値観
「昭和の価値観」というのが悪い意味で使われる文脈がある。
根性論とか精神論とか、あるいは男性優位の考えとかがその例になるだろう。
これと同じように「平成の価値観」というものがもし将来悪い意味で使われるとしたら、それはどういうものが当てはまるだろうか?というのを私はよく #思考実験 したくなる。 考える上で注意しなくてはならないことがいくつかある。
一つは、平成の価値観は平成にはじめて登場したとは限らないという点だ。根性論や精神論は明らかに昭和より前から存在しただろうが、にも関わらずそれが昭和の価値観と呼ばれる。これは、平成に入ってからそれを悪として扱うのがメジャーになったからではないだろうか。
つまり、「〇〇の価値観」とは世の中であまり疑問に思われなかった最後の時代を指す形で使われるというべきで、登場時期を指すのではないということだ(最盛期ですらないかもしれない)。これを、「昭和までの価値観」の「まで」が省略されていると考えることもできる。
もう一つは、たとえその価値観がいい側面を持っていたとしても、時代の価値観として十分に批判の対象になるということだ。たとえば男性優位の考えは「弱いものを守る」という(場合によっては「善い」)考えの悪い側面として現れる。にもかかわらず、それは前時代的なものとして批判されるべき理由がある(少なくとも後世の我々はそう考えるだろう)。
したがって「平成の価値観」には、我々世代にとってはふつうに「善い」と思っていた価値観が当てはまる可能性もあるということだ。なので「自己責任論」のような、平成のうちからすでに散々批判をされてきたような価値観以外にも目を向ける必要がある。
これに加えて難しいのが、前世代からの批判と後世代からの批判は理由が異なるという点である。たとえば平成の価値観として「個性を重視する」を仮にあげるとしよう(私がこれが悪いと思っているという意味ではないですよ、念の為)。前世代の人間がこれを批判するときはすでにお決まりの理由がある(「集団内でやるべきことをやらない」とかなんとか)。
前の世代は、どちらかというと年下の人間を説教するのに便利な論法を使ってこれを批判するが、後の世代は違う。後の世代が同じ価値観を仮に批判するとして、彼らは親や先生の良くない部分を反省する目的でこれを行うだろう。それがたまたま重なることもあるだろうが、主たるモチベが異なる。ここには前世代にはなかった、新しい価値観が反映されている可能性がある。それを先取りしなければ、この問題には答えを(あるいは仮説を)出すことができないのだ。
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以下、具体的な価値観をあげてもいいが、自分なりに「平成の価値観」を良くも悪くも感じた作品とかを見つけ次第貼っても良いかもしれない(でもめちゃくちゃ角が立つし、個人的な好き嫌いと区別をするのが難しいな…)。
私が個人的にどういう考えに「旧さ」を感じるのかのリストにしかならない(し、結局これは後世代ではなく同世代の立場からの感想でしかない)気もするが、仮説として書いてもよさそう。