スライドという形式がなぜダルいか
プレゼンテーションを作るときにスライドを作るというのが年々苦痛になってきた
この理由を考えたい
Q. Google スライドや PowerPoint がダルい?
A. だけではない。Markdown からスライドを生成するツールも同様にダルい
プレゼンテーションツールの #UI がダルいのも一面では真理 だが、おそらくそれを超えて媒体そのものにダルさを感じている
WYSIWYG のせいではない
Q. 一枚あたりの制約がダルい?
A. これはかなりありそう
Markdown からスライドを生成せず、 #文章 を画面に移して発表する形式で済むならその方が良い esa や Qiita にスライド機能あるけど、別に記事を上から読む形式の発表で構わないと思ってしまう
Notion や Scrapbox でそのまま発表するの割と好きになってきた
Q. スライドは一枚に収める情報を取捨選択しているのが良いところなのでは?
そうではあるが、聴衆の立場にたったときにそこを魅力に感じているかと言うと別に……
他の人はここに魅力を感じているのか?
高橋メソッドなどのメリットって、箇条書きの文章にも存在してるんじゃないのか?
Q. 同時に一枚しか見れないところがダルい?
A. これもある
時間的に線形のメディアはダルい
動画よりも文章で資料を見たい、とかと同じ
モードレス vs モーダル
「スライドがダルいのはモーダル UI がダルいのと同じ(?)」
よく「"ご清聴ありがとうございました" を最後のスライドにするな」みたいなベストプラクティスがあるが
昔はこれに同意してた
「最後のスライドはまとめ or 想定問答集であるべき。なぜならスライドは特定のページに戻るのが面倒で、質疑応答時に優しくないから」
しかし最近は「そもそもそんなところに気を使わないといけないスライドという形式が悪い」と感じるようになった
スクロールやズームで移動できる形式の方が良い
最近 Figma で発表資料を作るのが気に入ってるのはこの辺が理由かもしれない
Prezi って昔はピンとこなかったんだけど、最近良さがわかった
Q. ホスティングがダルい?
本題ではないが、まぁこれもそう
スライドを PDF としてアップロードする、という行為がやや不毛
なぜ好き好んで機械判読性を捨てるのか
speakerdeck、割と好きだったけど…