「消費」という言葉の悪さがいまいちわからない
人間に対して「消費する」という言葉を(ネガティブなニュアンスで)使う用法があるが、これがいまいちしっくり来ない。
いや、世の中で「それは${人あるいは属性}を消費している」とされる行為が個別に悪になることはわかる。
が、それらを #消費 という同じ単語でくくる意味がわからないと言ったほうが良いだろう。 たとえば「特定の職業の制服に性的なニュアンスを見出す」ことはその職につく人々を「消費する」行為とされる。
これが倫理的に良くないことはまぁ理解できる。
一方推し活的な文脈において「アイドルを『消費』しているかどうか」の話になると急についていくのが難しくなる。
アイドルに変なリプライを送ったり、握手会で無礼な行為を働いたりすることが個別に悪いことは理解できるが、それらを「消費」という言葉でくくる意味が本当はよくわかっていない。
普通の意味での「失礼さ」と何が違うのか。
単に有名人に無礼なリプライを送る人間は人格が劣悪だと言えば済む話ではないのか?
実は対人的に失礼な行為をすることを指しているのではなく、好きになる動機や妄想の内容が問題になっているのか?
ファンと有名人の間には権力関係のようなものがあって(有名人は言い返せない立場である)、ファンはそれを悪用した行動をしているという事態を呼び分けたいとか?
あるいは、有名人が不祥事を起こした際などに、彼らをのうのうと「消費」し続けて良いのかどうかみたいな文脈で使われるのも見たことがある。
が、それって単に悪人に金が流れるのは嫌だという気持ちと何が違うのか。
私自身、悪人に自分の金が流れるのは(加担しているみたいで)癪だと思うのでそれはわかるのだが、それって「消費」の悪さと関係があるのか?ぜんぜん違うタイプの悪さではないか?
「CDを買う」と言った普通の(それ自体は別に悪くない)消費について、その裏で起こっているかもしれない不正に目を向けよといった話をしているのか?(食べ物をエシカル消費するのと同様に)
そうだとすると、この文脈では消費行為そのものは別に悪いことではなく、その裏側で起こっていることへの無知こそが悪さの原因ということになる。
人間を目的として扱わず、手段として扱うことの悪さを強調した言い方をしている?
あるいは意図しない気苦労を相手にかける部分を強調している?(気疲れを物品の消耗にたとえている?)
特定の行為の良し悪しではなく、何らかの偏見を助長する態度のほうを指すものとして使われている?
「CDを買うと言った行為はそれ自体では悪くない」と言ったが、しかしここで「裏側を知ってさえいれば買ってもよいのか?」という問題が生じる。
そうだとすると、本質的には以下の条件分岐が働いていると考えられる
1. 裏側を知っていて買う → 悪人に金を流しているから悪い
2. 裏側を知らないで買う → 無知なので悪い
3. 裏側を知っていて買わない
1. 前は買ってたけどやめた?→ 倫理的(!)な消費者
2. 買ったことがない? → 部外者
4. 裏側を知らないで買わない → 部外者
原因は1個ではなく実は複数(「悪人に金」or「無知」)だった。
このいずれかにはまり込んだ人間の行いを全部「消費」という一つの単語で呼んでいるからわかりにくくなっていたようだ。