「押し付けだから良くない」は無意味な言明である
たまに「〇〇は押し付けだから良くない」という言い回しの批判を見かけるが、
私はこれを他人を煙に巻く無意味な言明と感じており、個人的に嫌っている。
これはいったい何故か?を考えてみる。
まず無意味である理由として、「押し付けている」という言明それ自体が悪い意味を含んでいるから、というのがあるだろう。
そもそも何らかの主張のうち、相手が不愉快になるような悪いやりかたを「押し付け」と呼ぶのだ。
だから「〇〇は押し付けだから良くない」というのは「〇〇は不愉快だから悪い」と同様、何を言ってるんだお前は(そりゃそうだろ)という印象を与える。
しかし、単に同義語反復なだけなら多少のミスであって(「頭痛が痛い」のように)、そこに不快感や攻撃性を感じることはないはずだ。私は同様の理由で「甘える」という単語にも不愉快さを感じることが多いが、これらに共通する点は何か?
先程の議論に戻ろう。「押し付けている」という言明それ自体が悪い意味を含んでいるのなら、意味のある用法はどういうものか?それは例えば、「〇〇は△△という点で押し付けじゃないか」と言ったものだ。甘えも同様で、「□□だなんて流石に甘え過ぎじゃないか」というフレーズならさほど無意味に感じにくいだろう。
これは言い回しの気遣いと言った表面的な話ではなく、本来の言葉の意味の話である。「押し付けである」ことが悪いのは自明なのだから、何が悪いのかを含む文章でないと意味をなさないというのは頷けよう。
一方人々が「押し付け」という単語を使う際に、なぜ悪いかという基準が示されることは通常ない。
なぜなら善悪や良心は「常識=共通感覚」に属すると考えられているためであろう。すると、「〇〇は押し付けだから良くない」という人は、相手が自分と同じ常識を持っていることを暗に期待し、そうでない相手なら(おそらく敵なので)諦めるという意思を持っていることになる。
あるいは「そんなこと(常識)もわからないのか」という次の攻撃が簡単に打てるように、初めから備えるという態度決定をしているとも言える。「押しつけ」であると主張する当人はまさに相手をその理由で批判しているにも関わらず、自信の価値観を隠して相手が当然理解することを期待している、という構造は興味深い。
ところで私は昔から、こうした「〇〇は押し付けだから良くない」のようなフレーズを称して「陰湿」という形容詞を使う癖があった(「あの人は倫理観が陰湿なので苦手」とか「みんな大人になると陰湿になってしまう」とか)。おそらくこれは私的な用法であり、同じ言葉の使い方をしている人は見たことがない(標準的な形容があったら知りたい気もする)。
ともあれ、善悪の価値観を省略したこれらのフレーズがなぜ(私にとって)悪意や攻撃性に見えるのかの正体はこれであろう。使っている当人が意識しているかはともかく、いざとなったら最初から攻撃・逃亡できるように設計されたフレーズだからというわけである。
こういう会話の現場で悪の基準が明示的に示されないのは単にその人が忘れっぽいからではない。相手を試しているのだ。最初に述べた「煙に巻いている」ように見えるのも、おそらく実際に相手が試しにきてるからというのが答えであろう。