「性格が薬で変わるから自由意志は存在しない」は論理の飛躍である
よく「酒や薬を飲むと自分の性格は変化するので、そのような(物理的な)事情に左右されるということは自由意志は存在しないのだ」というタイプの議論を見かける
言いたいことは分からないでもないが、こういうのを見るたびにそれは論理の飛躍では?と思っている。
そもそも自由意志の話と性格の話ってそんなに関係あるか?
「性格が薬で変わるならば自由意志は存在しない」の対偶は「自由意志が存在するならば性格は薬で変化しない」であるが、そう言えるか
より厳密に言い直して「任意の人物xについて、xの性格が薬で変化するならば、xに自由意志は存在しない」と言えるか?
つまり ¬ 性格が薬で変わる ∨ 自由意志は存在しない
このとき 性格が薬で変わる ∧ 自由意志が存在する となる x があれば反例となる
日常語で言えば「性格で薬が変わっているにも関わらず、依然として自由意志がある」と言えるケース
薬以外の理由で性格が変化した場合も、そこから自由意志は存在しないという結論になるか?
単に時間が経ったり環境が変わって性格が変化した場合は?
体調を崩しがちで、かなりの頻度で気分や振る舞いが変わるように見える人は?
そもそも「気分」と「ふるまい」と「性格」はどれも全然別物だが?
実は大抵の人は「自分の感情を自分で制御できる」という意味で「自由意志」という言葉を使ってるにすぎないのでは?
ほとんどの人は自己コントロールの問題にしか興味がなく、かつそのコントロールの対象として「(最初から環境に左右されることが自明な)性格」ぐらいしか思いつかないというだけでは?
f_subal.icon そもそも「性格が環境に左右される」は自明なのだから、そこに深遠な問題など存在しないのが当然では?
では「性格」と「意志」はどう異なるか?