「リアル」を「現実的」と訳さない
#言葉
英文で "real" と出てきたときに、日本語の「リアル」と同じような意味で訳すとだいたいおかしな感じになる
日本語の「リアル」は「現実に似ている、近い、現実的」といったニュアンスが強い
これは英語なら realistic とかの方が近いんでは?
英語だと普通に「真の」とか「本当の」とか言う感じになることが多い
#フィクション を「リアルである」とか「リアリティがない」という時、「現実的」という意味で解すとおかしなことになる
私なら「実在的」とか「実在性がある」と訳す
実在的であるためには現実世界に似ている必要はない
概して矛盾がなく、ルールに整合性があることが必要条件
「本当にそういう世界あってもおかしくないと感じられる」というようなニュアンス
もっというと、「自分が目で見てないときにも持続していると信じられる」が本質的な意味
「この部屋は実は、自分が見てない時には存在しないかもしれない」と考えるのが反実在論(だよね?)
「目に見える現象の背後に、真の実体がある」というのが実在論
読者のあなたが実在論にコミットするかはともかく、実在論を信じさせるような力を持っているのが「リアリティ」のあるフィクション、と考えられる
リアリティを実在性と解することは 真理の整合説 を暗に前提にしてる、と言えそう
逆に、現実に似ていることを重視する人は 真理の対応説 を信じていることになる?
ところで virtual の対義語は real ではない、という話がよくあるが
こう答えてしまうのは日本語のニュアンス(「現実的」)に引っ張られた結果では?と感じることがある
英語圏の人もこういう間違え方をすることあるんだろうか(知ってたら教えて下さい)
自分は virtual の対義語は actual か nominal を好んで使うようにしている
actual は「現にそうである」「実際の」みたいなニュアンスで、real よりはだいぶマシと感じる
これのきっかけは『ヴァーチャルとは何か?』を読んだこと
https://www.amazon.co.jp/ヴァーチャルとは何か-―デジタル時代におけるリアリティ-ピエール-レヴィ/dp/4812206073
virtual が「 #アイデンティティ は異なるけど機能や本質は同じ」という意味の時、アイデンティティが同じであることを表すのに actual を使う
「本当はこっち」というときの「本当は」は really よりも actually で言う方が自然
real はモノを、actual は出来事や現象を指すときに使うことが多い気がする
「実際の(actual な)事件」とは言うけど「真の(real な)事件」とはあまり言わない
nominal は「名目上」みたいな意味で、見た目は似ているけど機能は全く果たしてないような感じ
『バーチャルリアリティ学(日本VR学会)』ではこちらをバーチャルの対義語として採用している
https://www.amazon.co.jp/バーチャルリアリティ学-舘-暲/dp/4904490053
virtual が「見た目は違うけど機能は果たしている」という意味であるとして、真反対の状態を表すときに nominal を使う
ホログラムの椅子は座れないので nominal だが、ダンボール箱は座れるので virtually に椅子である
3DCG の椅子が virtual と言えるのは、あくまで自分の体も 3D 空間にいる(したがって座ることができる)からである
なので、3D 空間「全体」を指して virtual reality というのならおかしくない(実質的に入ることができるから)
#ヴァーチャル