論理物理学
210208
思考というのはものが落下するのと同じように物理的に機能するのだと直感していて、だからその物理環境の整備さえできればあとは時間が経過するのを待つだけで思考が完成するのだと最近思う。
この物理環境の整備というのが要はインプット(記憶)で、これによって思考のボールが走るためのルートが確定する。ルートさえ確定していれば、あとはボールに動力を与えることで思考は勝手に進む。思考に失敗するのは記憶に不足/欠陥があるか、動力が足りていないかのどちらかに思える。
だから頑張るべきは思考じゃなくて環境整備(インプット)なのだ。
この直感的な思考(無思考な思考)が結果的に論理的な結論を導くのは、最初に言った「思考の物理」こそがすなわち論理だからだと思うんだよなぁ。物理と同じで論理の正体は究極的には記述できない。
例えば「犬は猫である」と「犬は動物である」の2つを比べたとき後者のほうがスッと入ってきて理解の負担が少ない(ゼロに近い)わけだけど、このように人間には「犬」「猫」「動物」についての十全な知識があれば導ける自然な結論のようなものを持っていて、それが論理なのではないかと。そしてこの論理に抵抗するのは非常にカロリーがかかる(「犬は猫」を処理しようとするとストレスが発生する)ので、そこに抵抗さえしなければ思考の結果は論理的なものになる"はず"だという。もしそうならない場合は前提となっている知識(思考物理の環境)に問題がある。