R16FRでの私の仕事(JK1CPU)
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私の電子工作との出会いは小学4年の頃、何故か自宅にあった「ラジオの製作」をパラパラと読んだことでした。真空管(ST菅)三球ラジオの配線図の記事があり、作ってみたくなりました。プラモデルの組み立てに夢中になっていた当時の私は、「配線図を見ながら組立てればプラモデル感覚でできるだろう」と思ったのでした。
その矢先、ご近所さんから壊れていた真空管ラジオをもらい、分解して部品取りしました。足りない部品は当時のラジオ店で小遣いを貯めて買い足して、どうにか完成させました。ところがスイッチを入れると、真空管が瞬時にボッと光ると、真空管の中が白くくもり動かなくなりました。
配線図と本体と見直しましたが分からず、近くの模型店でラジオテスターの使いかたを教えてもらい、借りて帰り調べました。するとトランスの6.3vと200vの配線ミスで、結果的に真空管が壊れていて愕然としました。それ以来縁がないものと思い、電子工作はしなくなりました。再度電子工作と向かい合うのは、この失敗から50数年後、サンパーク奥富の会議室、もくもく会となります(もくもく会については後述します)。
私は1978(昭和53)年8月、島根県出雲市で開局しました。コールサインは「JR4EPP」、電話級アマチュア無線技士、○○歳でした。転勤の多い仕事でしたが平成元年となる1989年、昭和最後の日となった1月6日、3回目の転勤で埼玉県入間市に転勤して来ました。その後4回目の転勤が最後となりました。
埼玉県入間市で「JR4EPP/1」で運用していましたが、5回目の転勤が海外駐在だったため、アマチュア無線は休止しました。帰国後さらに2回の転勤後、2022年2月にはリタイアしましたが、3~4カ月立つと財布の中が寂しくなりました。飲み代位は稼ごうと思い、日曜日の求人広告を見てあちらこちらに電話しましたが、最後に年齢を聞かれ60歳だと伝えると、「申し訳ありませんが60歳では・・・」と断られ続けました。
翌週の求人広告に「70歳定年で60歳以上の方々が頑張ってます」の募集を見つけましたが、ガソリンスタンドの求人で「乙4危険物の資格必須」とのこと。これ以外には無いと本屋さんで資格試験の参考書を見たところ、何とかなるのではと勝手に思い購入しました。固い頭を叩きながら『60の手習い』で約1ヶ月勉強し、乙4危険物の試験に何とか合格しました。
ところが先週まであったガソリンスタンドの募集が無く、あわてて電話しました。すると「ちょうど良かった。今から印刷に出そうとしてました」「今日は時間ありますか?」とのこと。私は大丈夫ですと答えると「では今日の午後1時の面接でよろしいでしょうか?」。さっそく履歴書に記載して面接に行き、採用となりました。ガソリンスタンドの委託社員として約7年間がんばり、2020(令和2)年7月に退職しました。
退職後はサンデー毎日となり「何かすることはないかな?」と思い、ふと4アマの資格を思い出し無線を再開してみたくなりました。約30年前の無線機で開局申請したところ、その無線機では技適不適合と返送されました。仕方なく新しい無線機を買おうとカタログを見ていて目星をつけた、1.9M~430Mのオールモード機は4アマ用(20W)と3アマ用(50W)とが、価格が同じなことに気が付きました。
どうせ買うなら3アマを取得して3アマ用無線機を買おうと、今度は『70の手習い』で固い頭を叩きながら3アマに挑戦し何とか合格、FT-991AM(50W)で申請しなおし、1エリアでのコールサイン「JK1CPU」を2020(令和2)年10月にいただきました。CPUといえば Central Processing Unit(中央演算処理装置)の略、交信した方に覚えてもらいやすく、気に入っています。所沢アマチュア無線クラブ(JH1YVJ)に所属し、30年ぶりに無線活動が再開することになりました。
2022年5月10日の6時35分、お隣り狭山市の JN1GGZ 大瀧さんと交信しました。何でこんな早朝にと尋ねたところ、「朝練」といい昨年末からこのようなロールコールをしているとのこと。面白いことしているなと感心し、私も「朝練」に参加するようになりました。この5月のJH1YVJの移動運用で所沢市比良の丘にて、大瀧さんと初めてお会いしました。
この「朝練」には、私以外の狭山市周辺の無線仲間が加わっていき、「R16 Friendship Radio(略してR16FR)」という、無線クラブのような、そうでないような、不思議なコミュニティーとなりました。2022年7月、後の電波文化祭の会場となるサンパーク奥富の会議室で、「もくもく会」というミーティングを開催すると聞き、私も参加させてもらおうと近所のJL1HPH 鎌田さんと出向きました。
「もくもく会」の意味がわからず参加したのですが、聞くと「もくもくと自分のしたいことをする集まり」とのこと。当初は私も作りたいものを自由に作っていたのですが、次第にもくもく会やR16FRには技術レベルの高い人が加わり、光トランシーバーを始めユニークな製品が開発され、進むべく方向が見えてきました。
https://gyazo.com/25b6cea0100c5294448eda7b765b4fc1
光トランシーバーや自作アンテナなど頒布するに至ると、いつの間にか私の役割は電子部品の管理、試作品製作や頒布キットの用意、経理作業などに、サンデー毎日の特権を活かし向かい合うことになりました。もともと手作業は得意でしたし、前職も在庫部品でしたので当時のノウハウを活用できる、私にはうってつけの仕事となりました。
色々な特技・技術・知識を持った無線家が協力するR16FRの活動は、令和の無線クラブというよりは、古き良き昭和の無線クラブに近いのかもしれません。とはいえ2年以上も活動の勢いが継続するとは思ってなく、ましてや無線イベントの自主開催、電波文化祭へとつながっていくとは微塵にも思いませんでした。たかだか無線でつながった縁なのに、 縁いうのは不思議なものです。これもまた、アマチュア無線の魅力の一つなのでしょうか。
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私の居場所は私の仕事があると言う事です。私は電子工作等
仕事で得た知識/経験/持ち味を出し合い、良い意味でお互いに利用しながら展開。
R16FRでの毎週日曜日の活動はメンバーで意見を出し合い方向性を決め、特に制約も無く自分なりに進める。
私以外のR16FRのメンパーは、平日の仕事を持つ中、 頒布キットや電波文化祭など準備を進めているが、日曜日ごとの作業なので効率が悪いが、私はリタイヤしているので自宅で出来る事は 私が次の日曜日までの1週間、平日に作業を進めておく。
頒布キット化/組付け/加工や経理作業などが私の主な役割。
R16FRには自分の居場所がある。居場所があるとは、その場所での自分の仕事・役割があること
私は電子回路などを詳細には理解していないが、私の役割がR16FRの運用に少しでも立てばと思い電波文化祭を中心とした一連の活動に楽しく参加している。
飲み代稼ぎをやめた後に 何も知らず 約30年前のリグで開局申請しましたら 現在の技術基準に合わないと 返却され 仕方なくリグを購入しようと お店に行き1台で1.9~430までオールモードで4級と3級で使用出来るリグが同じ価格に気づき それならと70の手習いでダメで元々と硬い頭を叩きながら 何とか免許頂きFT-991AMを購入して再度 再開局申請 R2年10月15日に再開局 JK1CPUが指定されました。
本来は屋根のに立てたかったですが 年齢を考慮して 設置/撤去が一人で出来るアンネナを選定し基本はベランダの柱にポール(約2~3m)を4本立て 3本に約20mのワイヤーアンテナを張りオートチューナー で3.5~50メガが運用可能となりました。(地上高約8m)アースは色々とテストしましたが ガレージのカーポートに接続したら1.9メガ以外はSWRが1.3以下となりました。残りの1本に144/430のGPアンテナ設置して運用(地上高約7m)
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私(JK1CPU)の主な役割
光トランシーバー頒布キット
たくさんある部品の管理/出し入れが簡単で在庫数が目で見て把握出きる様に
Kit別のBoxに機能別に内容明細を取付、管理Boxを作成。
アンテナ頒布では
約2mのアルミ棒を切断機に長さ別にカット出来る治具を作成、寸法の精度と効率UP。
長さ別に両端にマジックで色を付け、目視でも長さの判別可能とした。
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無線家から離れた時とありますか
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私(JK1CPU)の電子工作の出会い
小学4年の頃、何故か自宅に「ラジオの製作」の本がありパラパラと見ると、真空管(ST菅)の三球ラジオの配線図の記載が有り、その頃は電子部品の知識もなくラジオテスター等も持っていませんでしたが、近くに模型店がありその頃流行りだしたプラモデルの組立に夢中になっていました。
プラモデル感覚で 配線図を見ながら 組立すれば 出来るだろうと、壊れていた真空管ラジオを近所から貰い
足らない部品は当時のラジオ店で小遣いを貯めてい買い足し、やっと完成、ところがスイッチを入れると、真空管が瞬時にボット光り、中が白くなり作動しなく配線図と本体と見直しをしましたが、分からず
近くの模型店でラジオテスターの使いかたを聞き、借りて帰り調べたら、6.3vと200vの接続ミスで結果的に真空管が
壊れて愕然とし、それ以来、電子工作はしなくなりましたが、もくもく会の皆さんと出会い①~⑥で試作品を
作成する機会があり50数年ぶりに電子工作に出会い、皆さんから半田付け等の指導を受け、作成完成後、
無事作動し感激しました。
設計・開発等は知識のある皆さんにお願いして、私はリタイヤして数年サンデー毎日で現役時代は在庫管理等の仕事でしたので当時のノウハウを活用して、電子部品の管理/仕分けは、自由な時間もあり自宅でも出来る為、Kit部品の作成を担当しています。更に皆さんからの指導を受け完成品組付けの担当をしています。
この様に、色々な特技・技術・知識を活用/協力して活動しています。
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