003.大阪雑記
■はじめに
ここは書かなくてもいいかなって思ったけど一応書いておく。
俺は今病気で大学を休学していて、貴重な時間を棒に振りまくって過ごしている。
去年は夏に入院もして、そこそこ大変だったけど、自分の作った曲と、他人の作った曲でなんとか耐えた。
大学を休学して、まあ療養するのが一番なんだけど、それだけでは日々膨大な時間だ。
でも病気のせいで電車に乗って遠出したり、外で外食することができなくて、部屋で転がってYoutubeばかり見て過ごす日々だった。
病気のせいで死を意識することもあって、それで「死ぬ前に何がしたいだろう」と思って出てきたのが曲作りだった。
バンド構成の曲作りは、いつかやろうと思っていたんだけどまともに続いたことがなくて、今回はちゃんと続くようにMIDIキーボードを買った。
そしたら、鍵盤で録音できるのってやっばり自分に向いていたみたいで、けっこういろんな曲を作れた。
聴いてくれる人には感謝の気持ちでいっぱい。
大阪へは久々の里帰り的な感じで帰ったんだけど、新幹線という二時間半をうまくやり過ごせるか不安で、かなり迷った。
でもまあ、帰って良かったなっていう、それだけのお話を今から書きます。
■新幹線
幼いころから引っ越しにつぐ引っ越し、親父の単身赴任、旅行、などなど、俺が新幹線を利用する機会はきっと人より多い。
といっても、その利用はほとんど東海道山陽新幹線に限られ、加えるとほぼのぞみにしか乗ったことがない。たまにさくら時々みずほ。
ちなみにaqua ballのサポートミュージシャンであり、ユキさんの弟である瑞穂君の名前はこの九州新幹線から来ている。
というわけで、東京駅に着くまでの混雑列車はつらかったけど、新幹線自体はそうでもなかった。
だって指定席取ったら絶対座れるしね。うちは出張マンな親父が指定席派なもんで子供までそうなってしまった。
弟は四国に用があり行きは飛行機で向かうとのことだったので、久々に実家に顔を出したい親父と一緒に新幹線に乗った。
新幹線の中では何をするかというと、とりあえずひたすらゲームをしていた。周回するタイプのやつ。
ポチポチしながら無限に音楽を聴いて車窓を眺める。普段あまり富士山に興味はないんだけど、この日はよく晴れていて、雪も被っていたから窓越しに写真を撮った。
個人的には浜名湖を通過するときの方がテンション上がる。
極寒日だったこの日、関ヶ原から米原までは別世界だった。
吹雪いていて、どこもかしこも積雪。窓からのぞいた隣の線路も雪に埋もれていて、車体が飛ばす雪がよく見えた。
あまりスピードが出せず、結局30分遅れで到着。
■一日目
大阪の家はでかい。
祖母の世代のときに建てられたそうで、もうあちこちガタが来ていて、でも上品な意匠がいろいろなところにあって、でかくて、入ったことのない部屋もいくつかあって、庭が三つある。
親父は親父の方の実家に行ったので、俺は一人で家に入った。
中学を卒業するまで住んでいて、中学出てからもよく来てはいる。最近ご無沙汰だったけど。
家人が仕事に出ていたので、暖房とか電気とか全部自分でつけたけど、普通に寒すぎだし昔の俺はよくこの家ではだしぺたぺたしてたよなって思う。
マンションの方が熱を貯めやすい。
電灯のスイッチの位置とか、昔届かなかった棚がらくらく届くとか、ガラス戸の顔の位置とか、そういうところで成長を実感する。
実は一昨年の11月にも帰省してたんだけど、その頃はけっこう体調が悪くて、帰って早々寝室行って寝てご飯とかもあまり食べられなかった。
今回は、全体通してなんだけど、外食こそできなかったものの、家でたくさんご飯が食べられた。よかったね。
家人は脂っこいものが食べられず、塩辛いものも苦手なので、土産は純和菓子が良い。
というわけで、舟和の芋羊羹とあんこ玉を買ってみた。
非常に喜ばれた。
「寝室の暖房もうあかんみたいでたまに切れんねん」って言われて(はよ買いぃや)って思ったけど家人も忙しい人なので「止まらんとええなぁ」って言っておいた。
実はこの家、居間とダイニングキッチンの電気もところどころついてない。電灯を替えても点かないらしい。根元から何とかせなあかんやつ。
まあ自分が同じ立場でもそこまでいったら放置してしまいそうだなと思いながら寝た。
家を出てわかる、この家のベッドの上質さ。ふかふか。
■三日目
二日目は家でだらだらしていただけなのでカット。
薬の影響でけっこう長く寝てしまうため、起きたら家人はとっくに仕事に行っていた。
実は大阪に来る前から今回行きたい場所があって、それは本屋だった。
昔から大きな書店に行くのが好きだ。それは多分、小さい頃親に連れ回られたのが大きな書店だったからっていうのもあるんだろう。
有難く用意してもらっていたたまごサンドを食べて、テキトーな荷物を持って家を出る。
向かう先は中ノ島にあるジュンク堂。
電車に乗って「やっぱ平日昼これぐらい空いてるよなぁ」って思う。
東京は人が多すぎる。
このジュンク堂はけっこう昔からあるところで、梅田の茶屋町にある丸善はそこそこ新しい。
梅田の方にいってもよかったんだけど、なんだか道中人が多そうだったのでこっちにした。
もう何度来たかわからないぐらいよく来ている本屋で、大阪に戻ってくるたびに来ている気がする。
店内をぶらついて思ったけど、本の表紙がよく見えるのと、選べる本がたくさんあるから、こういう大きな本屋が好きなのかなと思った。
背表紙だけしか見えないより本の全体が見えて、ぱっと手に取れるのは、なんというか、良い気がする。
ちなみに東京駅の丸善になかったスーパーカブ7巻が残り1冊で棚に並んでいたので、来たかいがかなりあった。
あとは物理学者のエッセイ本と、あとAIとかディープラーニングのわかりやすい解説本を買った。
後者は、今やっているゲームの考察にちょっと役に立つかなって思って買ってみた。
中ノ島というのは大川に浮かんでいる中州で、古い橋がいくつも掛かっている向こうに高速道路が見えるビジネス街だ。
石づくりのよくできた橋が見たかったら行くといい。夕焼けの頃が俺は好きだ。
晩飯はせいろで蒸した海老餃子だった。うちでもせいろを買おうか迷うぐらい美味かった。
■五日目
四日目もだらだらしていただけだった。カット。
この家には俺が幼い頃から触っていたアップライトピアノがあるが、それが置いてある応接室は暖房がぶっ壊れていて極寒の地だった。
Twitterにあげた動画は寒さに震えながら録りました。
でも綺麗な色したピアノじゃないですか? 昔から、黒いピアノは他所のものだなって感覚がある。
この日、四国での用事を終えた弟が大阪に戻ってきた。
ちょっと探検しようぜと言ってあまり行かない二階を歩き回った。ほぼ物置と化している部屋ばかりだ。
昔母が使っていた部屋を漁ると俺たちが小学校の頃の作文、学級通信、ノート、模型飛行機の設計図、テスト、習字の紙、ピアノの楽譜などが出てきた。
よくこんなものが残っていたなと感心したが、すぐに、おそらくどれを捨てていいか家人も困っているのだろうということに気づいた。
時間を作って手伝わないとなと思った。
晩飯はかしわ焼きだった。
かしわというのは鶏肉のことである。かえし(しょうゆとみりんを合わせてちょっと煮たやつ)に漬けておいた鶏肉を焼くだけなのだが、うちではなかなかうまくいかない。
久々に食べたけど美味かった。昔はよく弁当にも入れてもらったものだ。
弟が買ってきた愛媛土産は昔よく近くの人から貰った一六タルトの、みかん味ゆず味詰め合わせだった。
上品に甘い漉し餡に柚子の香りが爽やかだった。
「ほんまに蛇口ひねるとみかんジュース飲めたわ」と弟が言っていた。
久々に弟と同じ部屋で寝たが殺意が湧くレベルのいびきだった。
俺が高校時代こいつと寮で同室だったら必ず手が出る喧嘩になっていたと思う。
うるさいいびきの音を録ったデータを弟のLINEに送って寝た。
■六日目
朝起きて「どうだった?」って聞いたが「そんなうるさいかなぁ」って言われたので呆れた。
とりあえずたこ焼きを食べようということで意見が一致したので、昼ご飯はたこ焼きだった。
15個650円で育つと東京の高いたこ焼きを買う気になれない。
まあそこまでこだわりがあるわけじゃないけれど、外が少しカリっとしていて中がとろとろなのがたこ焼きだよな、という話をした。
ちなみに家で作れるっていう意見もあるけど片付けがめんどくさすぎる。
本当は二人で水族館に行こうという話をしていたんだけれど、急に弟の方に締め切りが湧いたので、一人で行くことになった。
海遊館までは1時間強かかる。たどり着く自信がなかったので「とりあえず散歩してくる」といって家を出た。
海遊館は小学生の頃何回も行った。そこから飛んで、高二の頃に行ったのが最後だ。
高二のときはあまりゆっくり見られなかったのでほぼノーカン。
どうやって行ったか忘れていたので乗り換え案内アプリを使った。
そうそう、緑の中央線使うんだよな、そこだけ覚えてる。
幸い、だいたいの電車で座ることができた。
はるまきごはんさんとかヨルシカとか水槽さんとかGalileo Galileiとかを聴きながら、苦しくなったら駅のベンチで休憩して、なんとか大阪港駅に着いた。
駅を降りた瞬間は、どうやって海遊館まで行くのは覚えてなかった。
地図アプリを見ると、観覧車を背に真っすぐ行くらしい。
観覧車は駅からでもぎり見える。少々シャッターが閉まった街を歩く。海の近くだったなと思い出す。
角を曲がって、薄水色の屋根のついたエスカレーターに乗った瞬間小さいころ何度もこれに乗ったことを思い出した。
エスカレーターをのぼりきると、あの特徴的な青と赤の建物が見える。
海遊館は、1つの建物で完結する水族館施設だ。
よくある水族館みたいに、イルカショーのための半屋外プールが無い。
アクアゲートをくぐって、日本の森コーナーを抜けたら、あとは黒い壁に囲まれた水中の世界をずっと歩いていくことになる。
そうしたら、最後のクラゲ館の後にくる北極コーナー手前まで、ずっと暗い。
昔は疑問にすら思わなかったけれど、海遊館の構造は中身も少し変わっている。多分。
中央にぶち抜きの太平洋水槽があって、それを回って降りていくスロープ順路になっていて、外側に他の水槽がいくつもある。
これは、太平洋がいろんな水域とつながっているということを水槽の配置で表しているらしい。
グレートバリアリーフを見ていても、パナマ湾を見ていても、クック海峡を見ていても、中央を振り返ると太平洋がいる。
ペンギン水槽で餌やりを嫌がる一頭がいて、隣でそれを見ていた夫婦が「これおいしないわー。もっとええもん持ってきてー」みたいな風にアテレコしていて、関西っぽいなと思った。
大阪を出てからもいろんな水族館に行ったから、よくいる生き物にはそこまで深い衝撃を受けなかったけれど、やっぱりジンベエザメはでかい。
ジンベエザメがいる太平洋水槽は、前述の通り、かなり長く見ることになる水槽なので、何回も回遊するジンベエザメとすれ違う。
でもなんかすれ違う頻度高いなって思ってよく見たら、ジンベエザメが二匹いた。
昔は一匹だったのに、増えたんだな。
けっこう座れる場所が多いので、人がいないところを見計らって一人で占領して、そして、un-aquariumを聴いた。
実はun-aquarium製作期間中に水族館に行けなかったので、一回動作確認をしたかったのだ。
多くは語らないが、自分がつくった曲も捨てたもんじゃないなと思った。人にはこの聴き方、勧めないけど。
そのほかの時間はずっとSleepy Fishを聴いていた。こっちは大いに勧めます。良いよ。
昔は日本海溝を過ぎてエスカレーターで降りて行ったクラゲ館が最後だったのに、そのクラゲ館がなんか海月銀河とかいうお洒落空間になってるっぽくって「おいおいまじか」ってなったけど、たしかにお洒落空間だったけど、ライトアップはきつくなくて、モノクロな空間に丸っこい水槽でいくつもの種類のクラゲが見やすく展示されていたので良かった。
既存の順路の最後に追加された形の北極コーナーで、ワモンアザラシが餌やりされていて、可愛すぎて写真をたくさん撮ってしまった。
そういえばコロナ禍になって海遊館のワモンアザラシの赤ちゃんの動画をよく見たなって思ったので、彼の親御さんが見られてよかった。
パネルに、赤ちゃんが生まれてから今までの子育ての試行錯誤が書かれていて、苦労がうかがえた。
出口近くに、そこを通らなくても出口へ行けるようなルートで、海遊館30周年記念展示コーナーがあった。
かなり興味深くいろんなことを読んだ。水槽内の構造、捕獲した生物の輸送方法、普段の飼育方法。海遊館の設計スケッチも見た。
土産どうしようって思ったけど、まあぬいぐるみは家に飽和してるし、ほかのものを買おうという結論に至った。
弟にはメタリックなキーホルダーを、家人には車のライトを反射するタイプの大きなキーホルダーを、自分にはアザラシの赤ちゃんの図がプリントされた巾着を買った。
親と一緒に海遊館に来ていたころは、海遊館を出たらそのまま真っすぐ帰っていたのだけれど、今回は奥まで抜けていって、海側の景色も見た。
人魚姫の像がいることを初めて知った。
海側はさえぎるものが少なく、景色が素晴らしかった。
その日は疲れていたから弟より早く寝たが、朝四時に一度目が覚めてしまい、またうるさいいびきを浴びることになってしまった。
どうやって二度寝できたのかはわからない。
■七日目
のそのそ起きる。休日なので家人もいた。
昼ご飯に、野菜多めの海老入りお好み焼きを作ってもらう。
この家では有機野菜を買っているらしく、野菜とかたまごとか、それ自体が美味い。
家人は肉をほぼ食べられないので、こういうところでいいものを食べられているみたいで良かったなと勝手に思う。
バナナ入りシフォンケーキを焼いてもらって食べた。
俺も弟も菓子を作らない(作れない)のでできたてのお菓子は新鮮で美味しい。
余ったら持って帰ろうと思ったけど弟がカービィになっていた。
夕方の新幹線をとっていたので、少し早めに家を出る。
行きは父にタクシーで家まで送ってもらったのだが、帰りは電車で新大阪まで行くことができた。
柿の葉寿司を確保し、りくろーおじさんのチーズケーキを買い、点天の餃子に柚子塩味があったのでそれを買い、辻利の抹茶ラングドシャも買い、然花抄院の幻月を買い、明らかに買い過ぎだが知らんぷりをして家人の見送りを受け新幹線に乗り込んだ。
電車の中で俺たちは無言である。マジで一言も喋らないまま東京まで過ごした。
俺は静岡あたりまで船を漕いでいた。船が漕げるということはそこそこリラックスしているということだ。
当たり前だが新幹線は速い曲が合う。自分で作ったDream of fallingというアレンジ曲が、疾走感もあって良いなと思った。
夜だったこともあって、un-aquariumもなかなかイケた。
あとは日向電工氏の『ブラックホールディスク』、水槽氏の『事後叙景』を聴きながら過ごした。
東京に無事帰ってきたけど街も家も全部寒くてビビった。
荷物を片付けて、インスタント味噌汁をいれる。
「柿の葉寿司、鯖より鮭の方がうまいけど奇数の場合絶対鯖の方が多いよな」と言って食べた。
東京でも食べたい関西の味が多すぎる。
おわり